
石井志をん「マチュピチュ」石井志をん
以前、詐欺に遭った事がある。
十年以上も前に契約をした時には年間三百ドル程だったタイムシェア、ヒルトンベケイションクラブの維持費が年ごとに嵩んで行った。気にする程の物ではないのですが、僅かの維持費がかかります、という触れ込みで最初三百ドルだった維持費が毎年百ドル程加算されて千三百ドルまでに膨れ上がった年末の出費は私の財布を圧迫していた。いよいよ手放そうかと試行錯誤していた時、ヒルトンと名乗る業者から電話が入り売る手続きをしてくれると言う。一万ドルで買った権利がその年五万ドルの価値が有ると言う。そんな旨い話有るわけ無いじゃんとは思いもせずに舞い上がり、手数料前払い?ハイハイ承知しました、と、信じられな程アホな女は千八百ドルを赤子の手をひねるようにいとも簡単に巻き上げられたのである。(その後本物のヒルトンの業者に八百ドルで売れて一件落着)その苦い経験の後は、渡る世間は鬼ばかり、人を見たら泥棒と思うようになった。だと言うのに、あー又詐欺に引っかかってしまったと青ざめ、胸の中には暗雲が立ち込め、食事も喉を通らす、出るものはため息ばかり、同行を取り止めた栄子さんに迷惑をかけなかった事がせめてもの慰めであった。
その後休暇から帰ったマイキーのメイルが入るまでの約二週間は疑心暗鬼ばかりで生きた心地すら無かった。
さて、気を取り直して行くと決めて、宿泊する三ツ星のホテルは写真で見ると快適そうである。が、ペルーでは水道の水は飲めない、トイレットペーパーは流せない、しかも、三ツホテルには浴槽が無くシャワーだけだと言う。旅の醍醐味は宿の湯舟にゆったりと浸かる事である。浴槽の有るホテルに変えて欲しいと言う要求には、既にホテルには支払いを済ませたので変更不可能であると言う答えであった。ホットタブなら有りますと言うが水着を着て入るホットタブと個室の湯舟は全く違う。公衆の面前で一人ジャクージーに浸かる孤独な老女の姿は想像するだけで寒気がする。「お母さん、それだけは止めて」と娘が叫んだ。浅い浴槽で棺桶の中の死人みたいに横たわる事でかろうじて湯に全身が浸かる事しか知らない人々には分かってもらえない素晴らしい日本の風呂文化である。「シャワーの何がいけないの」と言うアメリカンな娘には到底分かってもらえそうもない。
いよいよ荷造りが始まった。夏冬両方の衣類にレインコート、ぬかるみを歩く靴も要る。医師の処方箋によるまさかの為の抗生物質、高山病予防の薬、車酔いの薬、下痢止め、虫よけスプレー、ファーストエイドの色々、更にスナック菓子等も要るとの事で、スーツケースは予測を遥かに超える重量になった。
続く