石井志をん「マチュピチュ」

ドンデエスタマチュピチュ(11)

石井志をん

静かなセイクレッドヴァレーの何処からこれだけの人が湧いて来たのかと思う程早朝のオリャンタイタンボ駅は人で溢れていた。人々は線路際に並び一様に活気に満ちている。その喧騒にアンナカレーニナの冒頭のシーンが浮かんだ。

駅と言う所には何時だって物語が有る。

間もなく入ってきたブルーのトレインはウルバンバリバーに沿って下る。一時間余りの列車の旅はあっという間に終わりアグアスカリエンテス駅に着いた。列車を降りバス乗り場を目指そうと歩き出すと前方に「KEIKO」と書いたカードを掲げた男が待っていた。彼は私よりも小柄で握手の為に差し出した手は華奢で湿っていた。見ようによっては思春期の少年のような男はロバートと名乗った。

ガイドの顔を効かせてバスの最前列に座る事が出来、曲がりくねった凸凹道と聞いていたのがそれほどでも無く、危惧した車酔いにもならずに済んだ。

アメリカを出る前から予報で知っていた事だが生憎と雨模様であった。

ゲイトでは入場券の他にパスポートの提出を求められたが、特にスタンプを押す訳でもない。

遂にやって来たのだ、長年夢見て、しかも、叶わぬ夢と何度も諦めた天空の城に。幸い雨は軽く、曇り空の下に遺跡が一望出来た。そこは映像で何度も見たそのまんまの不思議な異次元の空間であった。おとぎの国に間違って入り込んだ様な、ワンダーランドのアリスになったような、あの時のあの違和感は何なのだろう、そこに行くのが目的で、目的を果たしたのだからこれで良し、と言うような或る意味でのかすかな失望感。映画のセットの様にちまちまとして小奇麗な遺跡。その奥に控えてでんと聳えるワイナピチュの峯は霧にけむって立っている。悪天候のおかげで遺跡はそれ程込み合いもせず、人々はスムーズに進んだ。ワイナピチュの峯をバックに両腕を広げて写真を撮ると言う誰もがするポーズで写真を撮る事を忘れていた。遺跡の順路は一方通行で後戻りは出来ない。それで良い、兎に角マチュピチュに来たのだから一回り出来ればそれで良い。ヨーロッパにも韓国、中国にも行ったが、あの既視感のような物を感じたのはマチュピチュが初めてであった。そこは天国だったような気がする。死後の世界を垣間見て戻った、そんな気がする。

アグアスカリエンテスの街で昼食をと、レストランを物色していると「KEIKO」と呼ぶ声がする。こんな所で私を知る人が居るのかと驚いて振り向くと昨夜オリャンタイタンボで別れたツアーの仲間だった。「今日のガイドはどうだった?」と訊く「―――」言い淀んでいると「ルーヴィンの後じゃ問題にもならないか」と笑い、私も頷く。

昼食にはアルパカのステーキを注文した。何故だかステーキの上に目玉焼きが乗っている、卵はこの国では貴重な食品なのか。アルパカはビーフにも鹿肉にも似たような味で特に違和感無し。後から娘に「ウワッ、アルパカを食べたの!」と気味悪そうな顔をされたが、ヴェニスンと似たようなもんである、どうと言う事は無い。

帰りの列車で隣に席を取った五〇歳程の女はチェッコの人で「今回はニュージーランドを回って来た」と言う。私同様彼女も一人旅である。「お仕事は何を」と言う問いに「仕事ねー」ふふんと笑った。世の中には五〇歳の若さで家庭を持たずに仕事もせずに 世界中を旅している人も居るのだ。見れば彼女の身に着けているのは全て趣味の良い上等な物で安物のショッキングピンクのダウン(もどき)ヴェストを着ている私とは住む世界の違う人である。

白い波を立てて流れるウルバンバリバーに逆行して列車は緩やかに静かに高度を上げて行く。遥か遠くに冠雪のアンデス山脈が見えた。夕陽を受けて輝くアンデスの雪を暮れなずむ遠い谷から見るのはマチュピチュへの旅の最後に貰ったご褒美のような気がした。            (終わり)