
石井志をん「マチュピチュ」
ドンデエスタマチュピチュ(7)
石井志をん
ツアーガイドの男はルーヴィンと名乗った。ルーヴィンと言う名前を聞くのは2度目である。私のかつての職場に同じ名前のエンジニアが居た。彼ははユダヤ人で髪も眉も睫毛も黒くて濃い顔立ちをしていた。ルーヴィンとは創世記に出てくるヤコブとリアの長子の名前である。
ツアーガイドのルーヴィンは後になってから自分の本当の名前はケチュア語だとその名前だと教えてくれたがとても難しい発音で一度聞いただけでは真似も出来なかった。インカの末裔が何故旧約聖書から取った名前を名乗っているのかを聞きそびれたが、それは並々ならぬ誇りと拘りとがなせる業であろうか。
ルーヴィンの英語は私など足元にも及ばない程流暢その物だった。
「どちらで英語を学ばれたのですか」と尋ねると「大学で」とのことであった。彼の本職はインカ文明の研究である。それだけの事は有って流石に彼の話は幅広く奥が深く、熱の籠ったパフォーマンスに私は聞き惚れた。私達は学生に戻った気分で教授の講義を聞き漏らすまいと耳を澄ました。
その日の午後はサクサイワマンを後にしてクスコの街へ向かった。クスコの繫華街の中心プラザ、デアーマスにはペルーで一番古い教会が有る。その教会カテドラルクスコに入る前に、写真は決して撮ってはならぬ、帽子をかぶってはならぬと念を押された。
カテドラルクスコはサクサイワマンから運ばれた赤い石灰石を使って建てられている。最初は部族の戦いの勝利を記念して建てられたが、その後クリスチャンの教会として使われている。建設に百年かけられたというが、幾度も地震に遭い、その被害の惨さは手の施しようも無く長い間放置去れていた。が、20世紀の終わりから21世紀の頭にかけて5年の歳月をかけて修復されている。
カテドラルクスコの外観は良く知られている、が、写真撮影が禁止されている内部の様子はそこに入った人だけしか知らない。
中に入ってみると外から見た感じよりずっと広い。手の込んだ装飾に目を見張るがその装飾を遍く覆っていた金をスペイン軍が剥がして持って帰り、金貨として鋳造したと聞けば言葉も出ない。(何と言う事を)
「ペルーの主要産業が何だか知ってますか?」と言うルーヴィンの問いに私はうっかり「観光でしょうか」と答えたが、「マイニングです」との事だった。
壁に掛けられた絵画「最後の晩餐」のテーブルのメインディッシュはギニーピッグである。
インカは山岳信仰が強くパチャママと言う女神像は裾を広げた山の形のスカートを穿いている。山は神であり、女神なのである。幼児イエスキリスト抱く聖母マリアのスカートも広げたテントのようにふんわりと広い
(続く)