石井志をんの旅行記 ドンデエスタマチュピチュ(10)
ドンデエスタマチュピチュ(10)
石井志をん
私達は誰もがレストランで食事をする為に取られる時間が惜しかった、それにレストランではギニーピッグを食べるかもしれないのだ。石焼窯で焼いたパンを昼食にしたいと告げるとルーヴィンは心なしか寂しそうだった。ギニーピッグはインカの誇る食文化の一つだから食べてみて欲しかったのだろう。
石焼窯で焼いたパンを売るのは銀細工の工房に隣接する一隅である。ペルーは世界第二位の銀の採掘量を誇る国である。と言う事でそこで売られている銀製品は一般の物より銀の純度が高いと言う。私はそこで赤い貝殻のイアリングとラピスラズリのイアリングをそれぞれ一対づつ買った。
古来この山奥では遥か遠い海で採れた貝殻を尊び、その希少価値が高くインカ帝国では貝殻の値段が金よりも高値であったという。陳列棚の研ぎ澄まされた鮑の殻の美しさに目を見張った。手渡しで回って来た二枚貝は今までに見た事の無い物で、しっかりと厚みが有り掌にずっしりと重い。白い貝の内側の朱の色は以前イタリアで買ったブローチのカメオと比べれば、深紅と朱色の中間の深い色で正に宝石の風格が有った。
ラピスラズリは鮮やかな瑠璃色をしている。この宝石に憧れていた私が本物を手に取るのは初めてである。ラピスラズリの和名は瑠璃、浅丘ルリ子のルリ。小椋佳のラピスラズリの涙と言う曲を思い出すがその曲は少し悲しすぎる。
次に向かったOiiantytambo(おらが家の田んぼ?)は聖なる谷のラストスポットである。その遺跡は写真で見るよりも遥かに高く空に聳え、石段は急峻で見上げただけで目が眩んだ。その順路は一方通行で引き返すことは出来ない。もし、途中で歩けなくなれば同行者に迷惑をかける。
かつて万里の長城の天辺でその高さに足がすくんだ時を思い出す。その時は風に鳴る上着を胸に搔き寄せながらどうにか歩ききった。ただし、それは二十年も前の事だ。頂上から見下ろすOiiantytamboの街はさぞ壮観であろう。登れないのは残念だ、が、ここは矢張り若い人達の来る所なのだと我とわが身に言い聞かせて麓で待つ事にした。
穿った石から途切れることなく流れ出る泉の水、度重なる地震に耐えて昔を今に伝える石の造形の数々、麓にも。見る物は充分に有った。
程なくして帰ってきた仲間たちと合流して遺跡のゲイトを出た。土産物屋が軒を連ねる街には石畳の道と建物の壁との間に幅50センチ程の水路が巡り、豊かな量の澄んだ水が音を立てて流れる。
ここで二日間親しんだツアーの仲間とはお別れである。仲間達は最後のグループ写真を撮り、それぞれの宿に引き上げて行った。
明日はいよいよマチュピチュである。 (続く)