石井志をんの旅行記 ドンデエスタマチュピチュ(6)

石井志をん「マチュピチュ」

ドンデエスタマチュピチュ(6)

石井志をん

 

網の目のように張り巡らされたインカ街道の総全長を合計すると4万キロにもなると言う。4万キロとは地球の円周に匹敵する。

余談だけれど、街道と言えば先ず我が愛する司馬遼太郎の「街道をゆく」が浮かぶが、このシリーズにインカ街道は含まれていない。司馬遼太郎は73歳で死去している。人生百年と言われる昨今73歳の死は早すぎる。アイルランドもオランダもアメリカも歩いたのだから、若しインカ街道を歩いたなら、と思わずにいられない。

そのかみの昔、道を造る石が初めて敷き詰められた頃インカの民はゴツゴツした石の道を裸足に近い形で苦も無く走り回ったのだろう。だが平坦な道しか歩いた事の無い私の脚に初めてのインカ街道はとても歩き難い道であった。登山道なら岩や木の根がむき出しの道をゆっくりと歩いた事はあるが、ここではゆっくりとしては居られない。グループの若者達は敷き詰めた石の上をズンズンと進む、私は遅れまいと必死でついて行くのがやっとであった。私は司馬遼太郎が他界した年齢より更に4歳も上の77歳である。履きなれた筈のハイキングブーツが高地では重すぎた、持ってきた街歩きの杖(先の尖った杖は遺跡を傷めると案内書に有ったので)が長時間は使い難くかった。ハイキングスティックでも靴でもクスコの街中でいくらでも手に入ったのだから新しく買うべきであったと後になってから思う。

辿り着いたサクサイウーマンはサッカーフィールドが楽に10個は入りそうな芝生の広場でダイナミックなグレーの石の壁が取り囲んでいた。大きな石を積み重ねた壁はスペイン軍に荒らされて残っているのは往時の25パーセントだけだと言う。それでも、地震にも耐えて残った石組みの傍によれば見上げほど高い。広場の石の最大の物は300トンも有ると言う。髪の毛一本も入る隙が無い程精緻に見事に組まれている石の美しさに私は見とれた。その時がインカの石組みを見た最初であった。重機一つ無い時代に一体どの様にして、どんな技術を使ってその見事な石組みを造ったのかを誰も知らない。

サクサイウーマンとはケチュア語で「満たされたハヤブサ」と言う意味であると言う。インカの鳥と言えばコンドルを先ず思い浮かべるがここでは何故だかハヤブサである。この広場は要塞であったとも訓練場であったとも推測されるが本当の処は誰も知らない。文字を持たないインカの歴史は謎だらけである。

「FUENTES」(スペイン語で噴水、水飲み場)とある表示の脇に岩を穿って流される清冽な水は常に一定の水量を保ち今でも動力を一切使わないと言う。

眼を移すと広場の右手遥か下方に赤い瓦屋根のクスコの街が広がっていた。

(続く)