石井志をん「マチュピチュ」

ドンデエスタマチュピチュ(9)

石井志をん

工房に併設された牧場にはコンドルが居ると言うのでとても楽しみだった、が、どれ程大きな鳥が待っているのかと探してもそれらしき物は居ない。

結局私達が見たのはコンドルの子供だった。成鳥は翼を広げれば全長3メートルにもなると言うだけあってベイビーコンドルも決して小さくはない。

(コンドルは飛んで行くと言う曲を吹いてみたくて私はサンポーニャと言う楽器を買った、何故あの時ケーナも一緒に買わなかったのかが悔やまれる。ケーナは尺八のような縦笛である。サンポーニャは細い短い物から順々に大きくなる篠笛をズラリと横2段に束ねたような楽器だ。私の買ったサンポーニャは低音階が右手に高音階が左手になる。今まで見た楽器類、ピアノ、オルガン、木琴、ハーモニカのどれを取ってもその逆である。サンポーニャを吹くのは今までの人生で身に着けた常識を全て逆にしろと言われた様なものである。吹いてみると混乱を極め頭がおかしくなりそうだった。悪戦苦闘の結果、どう足掻こうと弾ける筈もないと諦めた。私が不良品を掴まされたのか、それともあれが当たり前なのか今だに疑問である。ケーナなら何とか吹けたかもしれないと未練が残る)

「パパラッチ!」フォトスポットに着くとルーヴィンは叫ぶ。セレブでもないツアー客にパパラッチもないものだが、彼なりの冗談と言うか気合の入れ方だろう。次に必ず「Keiko」と呼び、先ず一番に私の写真を撮る。ペルーではKeiko Fujimoriのおかげで私の名前Keikoは違和感なく溶け込んでいる。何時も先ず私の名前を呼ぶのは若者達のグループの中で一人異邦人の様な高齢者を励ましている居るのだと思われた。

ピサックの遺跡の一つでテラスと呼ばれる段々畑が野外の大劇場のように広がる。緩やかな放物線を描いて並ぶ細長い畑は一定の高さと幅を保ち、水は上の段から下に落ち、太陽の恵みを遍く受けるように南向きである。大きな帽子を被りデニムの上下を着た私は直ぐにでも農作業に取り掛かれそうだが、このテラスはユネスコの文化遺産に登録されていて現在農作物が栽培されてはいないと言う。

テラスの次に立ち寄ったのは谷を越えて向かい側の墓場を見る崖である。緑の斜面に墓が有るのだと言うが随所に黒い穴が開いている。それは盗掘の跡だと言う。それよりも先刻から崖すれすれに立って身振り手振りで熱弁を振るうルーヴィンが谷底に落ちはしないかと気が気ではない。

さて、問題はその日のランチである。洒落たレストランにするか、石焼窯で焼いたパンを手軽に食べるか皆で決めてくれとルーヴィンは言う。

(続く)

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