石井志をんの短歌研究、家族の歌 松江久志「花宇宙」春の巻 (その十九)

石井志をんの短歌研究、家族の歌

松江久志(まつえひさし)「花宇宙」春の巻 (その十九)

 

セコイヤ(その二)

 

「兄嫁と来りてともに仰ぐ樹の秀先の空はあくまで青し」

「新婚の旅に見上げしセコイアを四十年を経て共に見上ぐる」

 

松江久志の著書「花宇宙」副題「松江久志の植物短歌歳時記」より

 

セコイヤを詠んだ歌が百六十首載せられているこの歌集の中で家族を詠んだ歌が四首有る。(その一)に続いて二首を紹介する。

 

最初の歌、兄嫁とあるが、兄については書かれていない、と言うことは兄上は既に他界しておられるのであろう。

遠く海を越えて兄の妻が訪ねて来た。その兄嫁は今は亡き兄の存在に代わる大切な人である。弟家族は喜んで彼女をカリフォルニアが誇るセコイアの森に案内する。根元から見上げるまでに暫しの時を要する程の大樹の先端を歌人は「秀先」と呼ぶ。そこにはこれもカリフォルニアが誇る青く澄んだ空がある。

余談だが、筆者の夫が他界した後で一人夫の故郷へ行くと夫の縁者は血の繋がらない私をまるで昔からの家族であるかのように迎えてくれる。そしてこれも余談だけれど私の夫も日本からの客人をセコイアの森であるヨセミテに案内するのを喜びとしていた。

二首目の歌は結婚して四〇年過ぎた時に新婚旅行で行ったセコイアの森を歌人とその妻は訪れている。四〇年と言う時の長さがセコイアの樹形と呼応する。ああ、もう四〇年も過ぎたのだと灌漑に耽りながら見上げる二人。前編で紹介した新婚旅行の歌は「妻も吾もいずれ死にゆくーー」と始まる。いずれは死が二人を分かつと思えば辛い。だが揺るぎなき四〇年を共に歩んで来ている二人である。

「吾も在りし二十世紀をセコイヤの苗木は繋ぐ三十世紀に」と夫人が詠んでいるようにセコイアの存在は二人にとって何物にも代えがたいのである。

 

「セコイア

Sequoiadendron gigantium セコイヤ

Sequoia sempervirens レッドウッド

ジャイアンツセコイア(ビッグツリー)とコースとレッドウッドの二種類が有る。

ヒノキ科、常緑針葉樹

カリフォルニア州のシェラネバダ山脈の西斜面に自生

 

【花言葉 雄大 堅実】」

「花宇宙」より

 

歌人 石井志をん 千葉県出身、カリフォルニア、サンタクルーズ、フェルトン市在住、日刊サン短歌部門の選者を務める、カリフォルニア短歌会会員、新移植林会員。                     二〇二三年四月記

 

(注、カリフォルニア短歌会はロサンゼルス在住の松江久志主宰、新移植林は

ロサンゼル在住の中條貴美子主宰、どちらにも北米と日本の歌人が在籍)