
石井志をん「マチュピチュ」
ドンデエスタマチュピチュ(3)
石井志をん
出発の前日になって明日は四時間前に空港に来るようにとの指示が航空会社から有った。何でだろう、マイキーに電話で訊くと、なんでかなー、と先ず言い、ペルーの政府機関から送られてきた書類を確認する為かしらと言った。それはコロナに罹っていないと言う自分がサインした証明書でそれが無ければペルーに入国は拒否される、したがってサンノゼ空港でのボーディングもさせられないと言う事らしかった。
と言う訳で四時間前に空港到着、検温は勿論パス例の書類が完璧だったので、チェックインは難無くクリア、その後私は空港の片隅ででひたすらは待つことになった、その時はまだ出発ゲートも決まってはいなかった。ウトウトしてハッと気が付くと出発一〇分前である。ゲートはどこだろうとボードを見上げると出発ゲートは遥か東の端である。急がねばと、スーツケースを引っ張りながらなりふり構わずひたすら走った。その時構内アナウンスが私の名前を呼んでいた。ゲートに辿り着いた私を見た時の係員のホッとした顔が今でも忘れられない。滑り込みセーフで搭乗し乗客の蔑視を浴びながら機内を後部座席まで進みコンパートメントにスーツケースを喘ぎながら押し込んで着席した
LAXは巨大空港である。サンノゼの小さな空港とは規模が違い過ぎる。通路の両側に並ぶどの店にも商品が溢れ、綺麗に飾り付けられソフィスティケイトその物である。人々のこれから旅に出る期待が熱気となってそのオーラが太陽光線の様に充満している。私はそこで携帯のバッテリーチャージャーを買った。
さて、ラテンアメリカ空港はと見回すと、とに角バスに乗らねばならぬ。
で、バスに乗ってラテンアメリカ空港の有るターミナルまではどうやら行けたのだがその後がひどかった。ラテンアメリカ空港のカウンターの所在地を知っている人が居なくて、知ってると思しき人も間違っていたりして私はターミナルビルの中をグルグル回った。辿り着いたのは寂れて人も少ない薄暗がりとも思える一隅であった。今さっきまで居た見慣れたロサンゼルスの明るさや華やかさや賑わいとは程遠くそこは既に外国であった。ともあれ、どうやら飛行機に乗り込む事が出来たのだがキャビンアテンダントはそっけなかった。スペイン語でまくしたてるので英語でとお願いすると睨みつけて英語もこれまた早口であった、ランチメニューに至っては結局チキンとポテトと言うところしか解らずにトレイが運ばれてきた。チキンはパサパサで味がない、が、さすがはラテンの国ポテトは美味しかった。隣の席には色白で細い小柄な男が座っていた。話しかけると「ノーイングリッシュ、エスパニョール」と言い、会話は専らスマホの通訳のお世話になった。ここでリマに到着前に処方された高山病の予防薬を飲むのを忘れなかった。
リマ空港では先ずドル紙幣(アイロンをかけてピンピンにしておいた)をペルーの通貨ソルに替えた。ソル紙幣は小さく赤茶けて悲しい程ボロボロであった。
その後で旅行会社から指示されていたようにラテンアメリカマ航空のカウンターに行きパスポートを提示しクスコ空港行きのボーディングパスを請求した。すると「あんたはアホカ」と言う態度。何処の世界に航空券も無い人にボーディングパスを支給するか、と言われれば確かにそれが道理で絶望感が押し寄せる。ハッと思い出して念の為に記録しておいた現地の旅行社に電話すると程なくスマホに航空券が送られてきた。
どうやら難関をクリアして飛行機に乗り込むと斜め前の金持ちそうな銀髪のご婦人が話しかける。高価そうなスーツも靴も品良くその人と対照的に私と言えば軽いペラペラのジャケットに迷彩模様のパンツに登山靴である。この世に怖い物は何一つ無さそうな女はスペイン語で話しかける、ノーエスパニョール、イングリッシュポアファボアと言ってもお構いなしである。彼女は高そうな指輪をした手で窓外を指さして話続けた。
(続く)