石井志をんの短歌研究、家族の歌:門脇あい子「シャスタの峰」(その三)

門脇あい子(かどわきあいこ)「シャスタの峰」(その三)

「勤め終え帰宅のバスに揺られつつこの静けさを幸といわむか」ロッキー短歌、潮音

門脇あい子は第二次大戦後の一九四六年から一七年間を日本で暮らす。一九六三年にロサンゼルスに移住し、一九六八年から再び短歌をロッキーー短歌と日本の潮音に発表する。日本で暮らした十七年間に詠んだで有ろう短歌は残されていない。「敗戦国日本の戦後の暮らしを思い浮かべて下さい」と歌集シャスタの峰の編集者で門脇あい子の長女である岩見純子は言う。

冒頭の歌から第二次世界大戦を挟んで太平洋を行き来した歌人がついに得た落ち着いた平安の日々に感謝する様がうかがわれる。

「娘は嫁してひそけき室にさされたる大輪の菊白く静ずけし」ロッキーー短歌、潮音

静かになった部屋で薫る大輪の白菊は花嫁衣装の娘を思わせる。

「御題の『苗』に預選をしたる娘の名を見つけたり羅府新報に」カリフォルニア短歌会、潮音

長女岩見純子の短歌が一九九六年宮中歌会始に預選された(入選した)その記事を羅府新報の紙上で見つけた、その喜びは如何許りか。歌を詠む人ならば誰もが憧れる宮中歌会始には天文学的な数の応募が寄せられると言う。興奮に胸震える母の姿が浮かぶ。

「吾も在りし二十世紀をセコイアの苗木はつなぐ三十世紀に」岩見純子

一九九六年宮中歌会始預選(入選)歌

「五十年赦しあいつつ生きてきぬもうしばらくを生かさせたまえ」一九九七年羅府新報新年文芸短歌部門第二席

「二人とも八十歳まで生きてきぬこの幸いをかみしめている」一九九九年羅府新報新年文芸短歌部門第一席

門脇あい子は八三歳まで歌を詠み続け、九九歳と一〇ヵ月の天寿を全うした。二〇一九年秋の事であった。

敬称略

 

歌人 石井志をん 千葉県出身、カリフォルニア州、サンタクルーズ・カウンティー、フェルトン市在住、カリフォルニア短歌会会員、新移植林会員。

二〇二一年三月記

(注、カリフォルニア短歌会はロサンゼルス在住の松江久志主宰、新移植林はロサンゼルス在住の中條貴美子主宰、どちらにも北米と日本の歌人が在籍する。

ロサンゼルスで発行されている羅府新報(らふしんぽう)は1903年創刊で、現存する北米で最も古い新聞。以前は日刊(週6回発行)であったが、現在は週4回発行されている。英語と日本語のページがある。羅府とは戦前の日本人による造語でロサンゼルスを意味する)