石井志をんの短歌研究、家族の歌 松江久志「花宇宙」春の巻 (その十八)
石井志をんの短歌研究、家族の歌
松江久志(まつえひさし)「花宇宙」春の巻 (その十八)
セコイヤ(その一)
「妻も吾もいずれ死にゆく長命のセコイヤ羞しく黒々と立つ」
「霧白くセコイヤ樹林に流れ来て蜜月旅行の二人を包む」
松江久志の著書「花宇宙」副題「松江久志の植物短歌歳時記」より
この歌集にセコイヤを詠んだ歌は百六十首載せられている。その中で家族を詠んだ歌が四首有る。それを二首ずつ二回に分けて紹介したい。
最初の歌、愛する人と結ばれて幸福感に満たされながらも、いや、むしろ幸福感が強ければ強いほどいずれは二人を引き離すであろう死が脳裏を掠めて怯える。そんな人間の儚さに比べて目の前にそびえるセコイヤは何世紀にも渡って生き続ける。その雄々しさ力強さを、黒々と立つ、と歌人は詠んでいる。「羞しく」は「やさしく」と読む。「やさしく」は「優しく」と書くのが一般的だが敢えて「羞しく」を選んだところに歌人のこだわりが有るのであろう。含羞の羞の字をやさしいと詠ませる処にどの様な謎が含まれているのであろうか。
二番目の歌は新婚旅行である。最初の歌のセコイヤの幹の「黒々と」の力強さに比べてこちらは「霧白く」と白い霧のやさしさを詠っている。やさしいとは何処にも書いてないがやさしさが読み取れる。セコイヤの幹は黒い、そこに流れる霧は白い、黒と白の対比が、二種類のやさしさが絶妙である。
ここで特筆すべきは夫人の岩見純子がセコイヤを詠んだ歌である。
彼女はその年の宮中歌会始のお題「苗」に短歌を送った。
「吾も在りし二十世紀をセコイヤの苗木は繋ぐ三十世紀に」と
何ともスケールの大きな歌で見事に選者のハートを射止めて宮中歌会始に招かれている。
「セコイア
Sequoiadendron gigantium セコイヤ
Sequoia sempervirens レッドウッド
ジャイアンツセコイア(ビッグツリー)とコースとレッドウッドの二種類が有る。
ヒノキ科、常緑針葉樹
カリフォルニア州のシェラネバダ山脈の西斜面に自生
【花言葉 雄大 堅実】」
「花宇宙」より
歌人 石井志をん 千葉県出身、カリフォルニア、サンタクルーズ、フェルトン市在住、日刊サン短歌部門の選者を務める、カリフォルニア短歌会会員、新移植林会員。 二〇二三年二月記
(注、カリフォルニア短歌会はロサンゼルス在住の松江久志主宰、新移植林はロサンゼル在住の中條貴美子主宰、どちらにも北米と日本の歌人が在籍)