ロサンゼルス:嶋幸佑のアメリカ俳句鑑賞「下萌や椰子に彫られし日本文字」

嶋幸佑が選んだ今日のアメリカ俳句(2021年3月23日)

下萌や椰子に彫られし日本文字」山中汀(ノースハリウッド)

山中俚汀(りてい)はロサンゼルス市北のサウスパサデナ市にあった「如月(きさらぎ)句会」の創立者の一人。句会の創立は1930年ごろと思われます。その後、少なくとも第二次大戦までは続いていたようですが、有力メンバーの佐藤一棒や保田白帆子が活動の比重を「親分格」と言える橘吟社のほうに移すようになったため、会としての活動は次第に下火になっていったとみられます。

下萌(したもえ)は、早春に草の芽が萌え出ること。ありふれた景色の中に確かな春の動きが感じられる季語です。そんな陽気の南カリフォルニアの空に高々と伸びた椰子の木々。その間を散歩でもしているのでしょうか。ふと見ると、一本の椰子の木に日本の文字が彫られているのに目がとまりました。思わず、ハッとさせられたのではなかったかと思います。

まず、椰子の木を見つめる目がそこにあることに気づかされます。南カリフォルニアに長年住んでいると、気をつけて椰子の木を見ることはほとんどありません。作者は散歩しながら、椰子の木一本いっぽんに目を向けています。しばらくぶりに椰子を目にしたからでしょうか。

彫られていた日本の文字は、平仮名か漢字でしょう。木に何か彫ったことがある人は覚えがあると思いますが、文字だったらたいていが、自分の名前か好きな人の名前。何のためか。それを永遠のものにするため。自分がここにいたことの証明。そこにはもう戻らないか、戻るとしてもかなり日がたってから。そんな思いを抱きながら、彫るのではないかと思います。

ひょっとしたら、戦時強制収容される前に誰かが彫ったものかもしれません。戦後、収容所から南カリフォルニアに戻った作者が、しばらくぶりに椰子の木がある風景の中を歩きながら、それに気づきました。それを眺めながら、彫った日本人のことを思います。同胞としてこの異国で経てきた、平坦ではない道程に思いを馳せます。そして、下萌の季語を置いていることで、収容所からもとの街に戻り、定住の暮らしに目途が立ってきたことへの小さな喜びも感じさせます。

事実関係が分からないため、想像力を駆使して一句を味わうしかありませんが、こんな「読み」ができるのも、アメリカ俳句の醍醐味かもしれません。

【季語】下萌=春、「北米俳句集」(橘吟社、1974年刊行)より

嶋幸佑(しま・こうすけ)ロサンゼルス在住40年。伝統俳句結社の大手「田鶴」(宝塚市、水田むつみ主宰)米国支部の会員。

今から100年ほど前、アメリカに俳句を根付かせようと、農業従事者や歯科医など各種の職業に就いていた日本人の俳人らが、日本流の風雅を詠うのではではなく、アメリカの風俗・風土の中に、自分たちの俳句の確立を目指していた。

このコーナー「嶋幸佑のアメリカ俳句鑑賞」は、そうした先人の姿勢を、現在に引き継ぐ試み。今でも多種多様な職業の人たちがアメリカで俳句を詠んでいるが、それぞれの俳句の、いわゆる「アメリカ俳句」としての立ち位置にも迫る。

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