嶋幸佑が選んだ今日のアメリカ俳句(2021年1月11日)

「恙(つつが)なく帰米の夫と年を祝ぐ」田中麗翠(ロングビーチ)

新らしい年を迎え、正月料理を食べている老夫婦の姿が浮かぶ。まずは屠蘇を少し、それに雑煮が続く。献立は取り立てて言うまでもない、これまで何年も新年を祝う食卓に並んでいるものが、今年も揃っている。この句に特別の味わいを添えているのが「帰米の夫」の一語だ。たいていの場合「帰米」といったら「帰米二世」のことだが、この句が詠まれたおおよその時期を推定して、作者の夫も帰米二世であることは間違いない。

帰米二世の人たちの生き方のむずかしさについては、帰米二世の作家、山城正雄さんが、そのものずばりのタイトルの著書「帰米二世─解体していく『日本人』」に書いている。「帰米」というのは、アメリカで生まれ、教育のため幼少時に日本に送られ、ある年齢になってアメリカに戻ってきた日系の人たちだ。日本人のように流暢に日本語を話すわけではなく、アメリカに生まれ、英語だけでアメリカで育った日系二世のように英語を流暢に話すわけでもない。文化的にも、日本文化への理解と、アメリカ文化への理解とが、どちらも中途半端と感じてしまう自分がある。

そんな帰米の男性と結婚した作者。間違いなく日本生まれ、日本育ちの女性であろう。経緯は分からないが、出会いは日本だったのだろうか。夫と歩んできた人生は、帰米のむずかしさを自分のものとする人生だったに違いない。そうした年月を経て、今二人で新年を祝っている。「恙なく」のひと言は、単に病気や怪我がないという事実の描写ではない。その一語には、ここまで来ることができたことへの作者の深い満足感、そして感謝の気持ちが込められている。

【季語】年を祝ぐ=新年、「北米俳句集」(橘吟社、1974年刊行)より

嶋幸佑(しま・こうすけ)ロサンゼルス在住40年。伝統俳句結社の大手「田鶴」(宝塚市、水田むつみ主宰)米国支部の会員。

今から100年ほど前、アメリカに俳句を根付かせようと、農業従事者や歯科医など各種の職業に就いていた日本人の俳人らが、日本流の風雅を詠うのではではなく、アメリカの風俗・風土の中に、自分たちの俳句の確立を目指していた。

このコーナー「嶋幸佑のアメリカ俳句鑑賞」は、そうした先人の姿勢を、現在に引き継ぐ試み。今でも多種多様な職業の人たちがアメリカで俳句を詠んでいるが、それぞれの俳句の、いわゆる「アメリカ俳句」としての立ち位置にも迫る。

このコーナーへの感想は editor@culturalnews.com へ送ってください