嶋幸佑が選んだ今日のアメリカ俳句(2021年12月4日)
「三世を相手に老師餅を搗く」畠山安子(ガーデナ)
十二月になりました。街はクリスマスの飾り付けで彩られ、家々の前庭はクリスマスの置物や照明で明るく照らされています。そんな折、ロサンゼルス地区の日系社会では、さまざまな団体で餅つきが行われます。最近、餅つきを行う団体の数は減っているようだし、特に昨年からのコロナ禍で取り止めているところもあるようですが、それでも、宗教団体はじめ、地道に続けているところは少なくないでしょう。日本の伝統として、餅を搗いて、鏡餅をお供えにすることで、新年を迎える心の準備が整います。最近は器械で搗くこともできるようになりましたが、やはり臼と杵で掛け声を出しながら呼吸を揃えて行うことで、新たな年に向かって気持ちを合わせていくことにもなります。
掲句の老師ですが、何の師なのでしょうか。同じ作者に「正門の国旗仰ぎて卒業す」や「尺八に異人も寄り来ピクニック」の句が見えることから、もしかしたら、日本語学校の先生、それも老師とありあますから、教頭先生か校長先生でしょうか。生徒たちは日系の三世。母国語は英語です。その子どもたちが餅つきを手伝っています。手伝いには、もち米を蒸かすところから、搗きあがった餅を熱いうちに丸めたり、餡子をくるんだりすることまで、いろいろな作業が伴います。
しかし、この句では「三世を相手に搗く」とあるから、老師が杵を振り上げて搗き、その、搗かれつつある臼の中の餅を、三世の生徒がひと搗きごとに捏ねているのでしょうか。これは、意外に難しいものです。呼吸が合わないと、なかなかうまくいきません。杵を打つ人は同じテンポで打つ。捏ねる人はそれを自分のテンポとする。そうしないと、杵を振り上げた体の重心がちょっとふらついて、体重を上手く杵に乗せられなくなってしまいます。しかも、おそらく交代でやっているのでしょうから、一人ひとりの生徒とその都度、呼吸を合わせなければなりません。
鑑賞しながら、作者がこの句に何を託したのか、考えてみました。おそらく、老師と三世とが呼吸を合わせて餅を搗いている姿に、日系の価値を次の世代に伝えることを使命とすることの大切さを見ていたのではないでしょうか。そして、そうした使命感による営為によって、その価値が伝わることへの期待も示したかったのではないかと思います。文字数のこともありますが、「三世と搗く」のではなく「三世を相手に搗く」としたところが、この句で作者が最も言いたかった部分なのだと思いました。きっちりと相手を見定め、呼吸をそろえるように伝える。作者は、そうした場面が徐々に少なくなっていることに警鐘を鳴らしたかったのではないかという気もします。そんな気持ちを込めての一句。今年は多くの団体で餅つきが行われるよう期待したいと思います。
【季語】餅搗=冬、「北米俳句集」(1974年、橘吟社刊)
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嶋幸佑(しま・こうすけ)ロサンゼルス在住42年。伝統俳句結社の大手「田鶴」(宝塚市、水田むつみ主宰)米国支部の会員。
今から100年ほど前、アメリカに俳句を根付かせようと、農業従事者や歯科医など各種の職業に就いていた日本人の俳人らが、日本流の風雅を詠うのではではなく、アメリカの風俗・風土の中に、自分たちの俳句の確立を目指した。
このコーナー「嶋幸佑のアメリカ俳句鑑賞」は、そうした先人の姿勢を、現在に引き継ぐ試み。今でも多種多様な職業の人たちがアメリカで俳句を詠んでいるが、それぞれの俳句の、いわゆる「アメリカ俳句」としての立ち位置にも迫る。
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