嶋幸佑が選んだ今日のアメリカ俳句(2021年10月27日)
「掃苔や初期の移民の墓とのみ」本田楓月(ポートランド)
掃苔(そうたい)。最近あまり目にしなくなった言葉ですが、それはアメリカに住んでいるせいだと思ったら、グーグル検索に「近年では(この言葉は)あまり使われなくなりました」とあったので、日本でもそうなのかとちょっと安心しました。意味は、墓石に生じた苔を掃(はら)うなど、墓をきれいにするということで、墓参りのことを指します。
私が最後に墓参りをしたのはいつのことだったか、振り返ってみました。自分の家族の墓がこちらにあれば、命日やお盆などに墓参りをして、墓石を洗ったり、墓の周りをきれいにしたりすることもそれなりにあると思うのですが、そうでないと日本に帰った際に墓参りをするぐらいで、墓をきれいにすることはほとんどないと言っていいでしょう。それでも、自分の家族ではない墓の掃苔をし、墓参りをしていたアメリカに住む日本人がいたことを示すのが掲句です。「初期の移民の墓」としか彫られていない墓。どんな墓なのでしょうか。
この句の墓がどこの墓地にあるのか、分かりません。作者はポートランドとありますので、おそらくオレゴン州のポートランドにある墓地なのでしょう。思い出すのは、ロサンゼルス・ダウンタウンの東、ボイルハイツのエバグリーン墓地にある無縁仏の墓のことです。エバグリーン墓地には初期の日本人移民の多くが眠っていますが、その一画にこの無縁仏の墓があります。アメリカで亡くなり、遺体を引き取る人もいなく、日本の家族とも連絡が取れない、そんな人たちの遺骨が納められています。
掲句の「初期の移民の墓」とだけ彫られている墓は、おそらく同じような無縁仏の墓なのだろうと思います。その墓の苔を払いながら、作者はどんな思いを抱いていたのか。今のような暮らしができるのも、初期の移民が土台を作ってくれたお陰、そんな感謝の思いがあることは想像できます。しかし、それ以上に、そんな移民と自分との間にある、ひとつの共通する運命のようなものを感じていたのではないでしょうか。作者に家族がなければ、作者自身が無縁仏になる可能性は大いにあります。しかし、たとえ家族がいたとしても、日本との絆はすでに途切れており、こちらにいる家族といっても、英語圏で生きていく人たちとの間にどれほどの絆が維持されていくのか、微妙なものがあります。
掃苔は墓参りのことであり、秋の季語です。冷え込んできた秋の風に吹かれながら、作者は自らの移民としての宿命を引き受けるかのように、苔を掃っていたのではないでしょうか。下五の「のみ」が、最後の縁をも断ち切れてしまった地点に立つ、作者の静かな覚悟をうかがわせます。それは、野垂死の覚悟だったのかもしれません。
【季語】掃苔=秋、「北米俳句集」(1974年、橘吟社刊)
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嶋幸佑(しま・こうすけ)ロサンゼルス在住42年。伝統俳句結社の大手「田鶴」(宝塚市、水田むつみ主宰)米国支部の会員。
今から100年ほど前、アメリカに俳句を根付かせようと、農業従事者や歯科医など各種の職業に就いていた日本人の俳人らが、日本流の風雅を詠うのではではなく、アメリカの風俗・風土の中に、自分たちの俳句の確立を目指した。
このコーナー「嶋幸佑のアメリカ俳句鑑賞」は、そうした先人の姿勢を、現在に引き継ぐ試み。今でも多種多様な職業の人たちがアメリカで俳句を詠んでいるが、それぞれの俳句の、いわゆる「アメリカ俳句」としての立ち位置にも迫る。
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