嶋幸佑が選んだ今日のアメリカ俳句(2022年4月13日)
「日系の住居かと見る葱坊主」小菅白映(デンバー)
葱坊主はネギの花のことで、誰かが自宅の前庭あたりに植えていたのでしょう。その家の前を通った作者がその葱坊主を見て、ここは日系人の家なんだろうかと思った。句意からするとそれだけのことですが、この句が詠まれた年代や土地についてちょっと考えてみると、葱坊主を目にした時の作者の心がじんわりと伝わってきそうです。
ネギを自宅の前に植えるのは、何も日系人だけに限りません。他の人種でもしている人はいるでしょう。ただ、蕎麦や冷奴などに薬味として使用する度合が高いので、ちょっと自宅の庭の片隅に、という日系人は他の人種より多いのではないでしょうか。土への親しみというものもあります。
作者には「ロッキーの秋を楽しみ半世紀」という句もあります。コロラド州における日系人居住者はカリフォルニア州やワシントン州などと比べると少ないのですが、この句からはそこで半世紀を過したことを誇りに思っている気持ちがうかがえます。太平洋戦争勃発に際しコロラド州が取った措置もそんな気持ちに影響したことでしょう。戦争で西部海岸諸州に住んでいた日系人12万人が内陸部州に強制立ち退き・強制収容されたのですが、当時のコロラド州のラルフ・ローレンス・カー知事は強制収容に反対し、日系住民らのコロラド州受け入れを歓迎したのでした。
そんな作者が葱坊主のある家の前を通った時、我が同胞だろうか、とふと思ったのでした。それはごく自然な心の反応だったと思います。ある種の懐かしさ、ホッとする気持ち。それは、この州に生きてきた誇りを共有する人がここにいるような気にさせられた一瞬だったに違いありません。
作者には「コロラドの話を吾娘と明易し」という句もあります。コロラドに生きた半世紀を娘に語る作者の誇らしげな顔が見えてくるようです。その顔は、葱坊主を目にした時の顔に通ずるものがあったように思っています。
【季語】葱坊主=春、「北米俳句集」(1974年、橘吟社刊)より
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嶋幸佑(しま・こうすけ)ロサンゼルス在住43年。伝統俳句結社の大手「田鶴」(宝塚市、水田むつみ主宰)米国支部の会員。
今から100年ほど前、アメリカに俳句を根付かせようと、農業従事者や歯科医など各種の職業に就いていた日本人の俳人らが、日本流の風雅を詠うのではではなく、アメリカの風俗・風土の中に、自分たちの俳句の確立を目指した。
このコーナー「嶋幸佑のアメリカ俳句鑑賞」は、そうした先人の姿勢を、現在に引き継ぐ試み。今でも多種多様な職業の人たちがアメリカで俳句を詠んでいるが、それぞれの俳句の、いわゆる「アメリカ俳句」としての立ち位置にも迫る。
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