ロサンゼルス:嶋幸佑のアメリカ俳句鑑賞「新緑や匿すよしなきいきどほり」

嶋幸佑が選んだ今日のアメリカ俳句(2022年5月21日)

「新緑や匿(かく)すよしなきいきどほり」佐藤一棒(サウスパサデナ)

新緑という季語は「初夏の木々の若葉どきの緑であり、萌え出したばかりのみずみずしさ、柔らかさ、明るさに季節を享受する言葉」と歳時記にあります。それを使って、隠すことのできない憤りを詠んでいます。ちょっと不適切な季語であるような印象を受けますが、どのように鑑賞したらいいでしょうか。

第二次大戦中、西部諸州に住んでいた日系人約12万人は「敵国人種」として内陸州の10カ所に急造された戦時転住所に強制収容されましたが、掲句はその一つ、アリゾナ州のヒラリバー収容所で発行された合同句集「霾風(つちかぜ)」に収められた一句。句集は同収容所で設立された「比良吟社」が作成したもので、戦前サウスパサデナにあった「如月吟社」で活躍していた一棒は、比良吟社の成立に尽力した一人だったとみられます。

掲句は、日系人の強制収容を可能にした1942年2月19日の大統領令が出されてからしばらくして、実質的に立ち退きが始まったころの景を詠んだものと思われます。憤りは当然、立ち退き・強制収容という不当な措置に対するものでした。その憤りを新緑にぶつけることで、かえって憤りの大きさを感じさせることを狙ったような気もします。また、萌える緑の勢いが、憤りの強さを示しているようにも感じられます。

しかし同時に、収容を憤ることの空しさも、一棒は感じていたことでしょう。今どんなに憤ったところで、何がどう変わるものでもない。その空しさを感じていたから、漢字ではなく、柔らかくひらがなで「いきどほり」としたようにも思えます。

しかし、だからと言って、強制収容を正しいものと認めたわけではありません。憤りは憤りとしてあらわにし、過ちは正しく糾弾されなければなりません。新緑の季節が毎年めぐってくるように、それが糾されるまで、毎年繰り返し追及され続けなければなりません。一棒が新緑という季語を敢えて持ってきたのも、そんな思いを一句に託したかったからではないでしょうか。そして1988年、遂に連邦政府による正式謝罪と賠償という、光り輝く新緑の時を迎えたのでした。一棒はそれを黄泉の国から眺め、溜飲を下げたに違いありません。

【季語】新緑=夏、「霾風」(比良吟社、1945年)より。「たちばな七十年の歩み」(橘吟社、1992年)参照

嶋幸佑(しま・こうすけ)ロサンゼルス在住43年。伝統俳句結社の大手「田鶴」(宝塚市、水田むつみ主宰)米国支部の会員。

今から100年ほど前、アメリカに俳句を根付かせようと、農業従事者や歯科医など各種の職業に就いていた日本人の俳人らが、日本流の風雅を詠うのではではなく、アメリカの風俗・風土の中に、自分たちの俳句の確立を目指した。

このコーナー「嶋幸佑のアメリカ俳句鑑賞」は、そうした先人の姿勢を、現在に引き継ぐ試み。今でも多種多様な職業の人たちがアメリカで俳句を詠んでいるが、それぞれの俳句の、いわゆる「アメリカ俳句」としての立ち位置にも迫る。

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