嶋幸佑が選んだ今日のアメリカ俳句(2022年8月21日)
「秋草のゆれて一世無縁塚」十和田泉(ガーデナ)
作者は知り合いの墓参りのため、日本人墓地に来ました。墓参の後、その一画にある無縁塚に足を向けます。無縁の死者の供養のために建てられた墓です。その周囲はあまり手入れがされていないのか、草が生えたまま。それが風に吹かれて揺れています。
そこに眠っている人の中に、作者の知っている人はいないと思われます。ただ、長年親しくしていた友人の一人と音信が途絶えてしまっており、その人がどのような人生を送っているか、いつも気になっていたのではないでしょうか。それが無縁塚に足を向かわせた理由であるような気がします。初期の日本人移民一世と同じように、苦労続きの人生を送っていた人。ひょっとしたら、ここに葬られたのだろうか。秋の風を受けながら、ふと、そんな思いが胸を横切ります。
しかしそのうち、揺れている草の中に、秋の七草のいくつかを認めました。その文様がはかない風情に美しさをかもすとして、着物などに採用されている秋の草。それをしばらく眺めていました。やがて、作者の心に小さな灯りが灯りました。たとえ苦労続きだったとしても、そして、縁故者がいなかったとしても、一世たち一人ひとりが移民として異国に生きたこと自体に価値がある。名を残すことがなくとも、その生き様が他の移民たちに勇気を与えなかっただろうか。その人が口にした一言を心に抱き続けて生きた人がいなかっただろうか。その人だって、きっと…
いつしか作者は、その友人がどのような人生を送っているとしても、あるいは、送ったとしても、悔いのないものであってほしいという、祈りの心になって行きました。「自分だって、その人がそこにいたから、こうしてここまで来れたのではなかったか」。共にすごした時間が浮かんできます。
そうして、空気が少しひんやりとし出したころ、無縁塚をあとにしました。風は止んで、秋の草はもう揺れていませんでした。
【季語】秋草=秋、「北米俳句集」(1974年、橘吟社刊)
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嶋幸佑(しま・こうすけ)ロサンゼルス在住43年。伝統俳句結社の大手「田鶴」(宝塚市、水田むつみ主宰)米国支部の会員。
今から100年ほど前、アメリカに俳句を根付かせようと、農業従事者や歯科医など各種の職業に就いていた日本人の俳人らが、日本流の風雅を詠うのではではなく、アメリカの風俗・風土の中に、自分たちの俳句の確立を目指した。
このコーナー「嶋幸佑のアメリカ俳句鑑賞」は、そうした先人の姿勢を、現在に引き継ぐ試み。今でも多種多様な職業の人たちがアメリカで俳句を詠んでいるが、それぞれの俳句の、いわゆる「アメリカ俳句」としての立ち位置にも迫る。
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