嶋幸佑が選んだ今日のアメリカ俳句(2022年2月16日)
「収容所つゝみし闇や猫の恋」木村白嶺(日本)
2月には米国各地の日系社会で「想起の日(Day of Remembrance)」というイベントが行われます。1942年2月19日にルーズベルト大統領が発令した大統領令9066により、西海岸諸州に住んでいた日系人・日本人約12万人が強制立ち退きとなり、内陸部の10カ所に設置された戦時転住所に強制収容されました。「想起の日」のイベントは、二度とこのようなことが起こらないように、この歴史から学ぼうということを趣旨としたものです。1970年代にカリフォルニア州やオレゴン州、ワシントン州などの日系社会で始められ、今まで続いています。
強制収容にはわずかの準備期間しか与えられず、財産はただ同然で売り飛ばしたり、持っていった物といったら、それこそ必要最小限の身の回りのものぐらいでした。だから、ペットを連れて行くなどということはとても難しいことだったと思われます。しかしそれでも、この句から、猫が収容所にいたことがうかがえます。誰かが連れて行ったのでしょうか。
ロサンゼルスのリトル東京に「全米日系人博物館」がありますが、その渉外担当の人に問い合わせたら、博物館が展開しているウエブサイト「ディスカバー日系」に、強制収容とペットの話が数多く掲載されていることを教えてくれました。基本的に、強制収容所へペットを連れて行くことは禁止されていました。ほとんどのペットは友人や近所の人に預ってもらったのですが、戦後再会することはごくまれだったようです。それでも、収容所に犬や猫、それに鳥などのペットがいたことは確かでした。簡単に言うと、次のような経緯で強制収容所にペットがいたようです。ひとつは、預っていた隣人が収容先まで連れて行ったケース。収容所周辺のアメリカ先住民が飼っていた動物が収容所に居つき、それをペットとしたケース。ごくわずかですが、中には、収容所の建物建造を手伝うため自分の車で現地に行く時に連れていった人もいたようです。興味があるようでしたら、ぜひ「ディスカバー日系」を当たってみてください。
掲句の「猫の恋」は春の季語。猫は寒中から早春にかけて激しい求愛活動を始めることから、春の季語となり、その滑稽味、諧謔味で親しまれています。作者はマンザナ収容所に収容され、そこにできた「満砂那吟社」のメンバーでした。闇の中から聞えてくる猫なで声を聞きながら、ふと心が和む思いをしたのでしょう。その気持ちが一句に繋がりました。
【季語】猫の恋=春、「北米俳句集」(1974年、橘吟社刊)より
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嶋幸佑(しま・こうすけ)ロサンゼルス在住42年。伝統俳句結社の大手「田鶴」(宝塚市、水田むつみ主宰)米国支部の会員。
今から100年ほど前、アメリカに俳句を根付かせようと、農業従事者や歯科医など各種の職業に就いていた日本人の俳人らが、日本流の風雅を詠うのではではなく、アメリカの風俗・風土の中に、自分たちの俳句の確立を目指した。
このコーナー「嶋幸佑のアメリカ俳句鑑賞」は、そうした先人の姿勢を、現在に引き継ぐ試み。今でも多種多様な職業の人たちがアメリカで俳句を詠んでいるが、それぞれの俳句の、いわゆる「アメリカ俳句」としての立ち位置にも迫る。
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