ロサンゼルス:嶋幸佑のアメリカ俳句鑑賞「まぜこぜの英語日本語暖炉燃ゆ」

嶋幸佑が選んだ今日のアメリカ俳句(2021年12月19日)

「まぜこぜの英語日本語暖炉燃ゆ」宇野都鳥(シアトル)

今年最後の鑑賞です。寒い冬のシアトルからの句。ところで、このアメリカ俳句鑑賞で取り上げている作品は、橘吟社が1974年に発行した「北米俳句集」に収録されている計239人の句が大半なのですが、実は、作者のうち、句集発行の時点で既に故人となっている人には「故」が付けられています。宇野さんも、その一人でした。何歳で亡くなったかは分かりませんが、この句からすると、そう若いころに亡くなった方ではないように思われます。

こんなことを気にするのは、今回の鑑賞には家族構成が分かっていたほうが、詠まれている句の現場の様子を思い描きやすいと思ったからです。句集に収録されている他の自選句から、宇野さんに孫がいることが分かっていますが、作者の年齢から推して、ある程度大人の会話に加わることができる年ごろの孫とみていいでしょう。そこに何人いるかは分かりませんが、三世代の家族が暖炉の前で、英語と日本語まぜこぜで話している、という図です。一世の作者は日本語、英語を話しているのは三世の孫、作者の子どもの二世は英語か日本語か分かりませんが、それこそ、まぜこぜに話しているのかもしれません。

一家族で、日本語を話す人と英語を話す人とがいる。そんな場合、どうしても意思疎通が難しくなり、そのことを悲観的に詠んだ句もあります。そんなエッセイもよく見かけます。宇野さんの場合は、どうでしょうか。その気持ちを端的に、そして明確に示しているのが、下五の「暖炉燃ゆ」です。

この暖炉、ガスなのか、電気なのか、あるいは薪や石炭なのか分かりません。ただ、1974年の句集発行時に既に故人となっていたことを考えると、今普及しているガスではなく、薪の暖炉だったと考えられます。三世代が揃ったところから、クリスマスか新年のお祝いだったのでしょう。それでも、作者はあまり積極的に会話に加わっていません。どちらかと言うと、日英まぜこぜの会話を脇で面白く聞いています。家族水入らずのひと時に、肩の凝らない話を耳にしながら、そして、燃える暖炉の火に目を細めながら、いろいろと物思いにふけっている作者。移民として米国に渡ってきてからの半生を思い浮かべていたのかもしれません。そして、「これでよかったんだ」と、一人深くうなずいたところで得たのが、この一句でした。

なお「都鳥」は「みやこどり」と読むものと思います。掲句の作者は男性であることを付け添えておきます。

【季語】暖炉=冬、「北米俳句集」(1974年、橘吟社刊)より

嶋幸佑(しま・こうすけ)ロサンゼルス在住42年。伝統俳句結社の大手「田鶴」(宝塚市、水田むつみ主宰)米国支部の会員。

今から100年ほど前、アメリカに俳句を根付かせようと、農業従事者や歯科医など各種の職業に就いていた日本人の俳人らが、日本流の風雅を詠うのではではなく、アメリカの風俗・風土の中に、自分たちの俳句の確立を目指した。

このコーナー「嶋幸佑のアメリカ俳句鑑賞」は、そうした先人の姿勢を、現在に引き継ぐ試み。今でも多種多様な職業の人たちがアメリカで俳句を詠んでいるが、それぞれの俳句の、いわゆる「アメリカ俳句」としての立ち位置にも迫る。

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