「戦友の賀状今尚続きをり」利根里志(ロングビーチ)

年が明けて早くも半月が経ちました。アメリカ国内から、日本から、あるいはその他の国から年賀状が来るとしたら、もうとっくに届いていないといけないと思うので、別に期待していたわけではまったくないのですが、結局今年も年賀状を一通ももらえませんでした。Eメールでも新年の挨拶はほとんどなく、ラインで日本の家族や友人数人と「明けましておめでとう」のメッセージを交わしたぐらい。年賀状を最後にもらったのはもうかなり前になるし、そもそも、クリスマスカードですらもらったのはほんの数枚。賀状にしろクリスマスカードにしろ、こちらから出さないからもらえない、というごく当たり前の法則でしょう。

掲句。収録されている句集が出されたのが1983年で、もう40年も前。詠まれたのはそれ以前ですから、生存されていたとしても、戦友との賀状の交換が今でも続いている可能性はほとんどないのではないかと思います。しかし半面、続いていても不思議ではないかもしれないという気持ちが、まったくないわけでもありません。利根さんは特に、第二次大戦で中国にわたり、終戦間際にソ連軍の捕虜となってシベリアに抑留された人です。同じように死線をさまよった戦友たちとの「同士」の意識や気持ちは、他の人たちが考える以上に強いものがあるのではないでしょうか。日本にいるそんな戦友と「お前、まだ生きているか」と賀状で確かめ合う。

句集には「カナダより南米よりの年賀状」(岡田翠紅)「スペインに友は健在賀状来る」(丸山貞子)という句も目につきました。心を通わせた者同士でしょう。細かいことを言う必要はない、文字通り、生きていることの確認のための賀状という役割。Eメールやラインだと「謹賀新年」だけでは「なんだ淡泊なやつだな」と思われるかもしれない。でも、賀状ならばそれで十分。掲句を読み返しながら、来年は年賀状を出してみようかという気持ちになったりしています。

【季語】賀状=新年、「橘吟社創立六十周年記念句集」(1983年、橘吟社刊)より

嶋幸佑(しま・こうすけ)ロサンゼルス在住43年。伝統俳句結社の大手「田鶴」(宝塚市、水田むつみ主宰)米国支部の会員。

今から100年ほど前、アメリカに俳句を根付かせようと、農業従事者や歯科医など各種の職業に就いていた日本人の俳人らが、日本流の風雅を詠うのではではなく、アメリカの風俗・風土の中に、自分たちの俳句の確立を目指した。

このコーナー「嶋幸佑のアメリカ俳句鑑賞」は、そうした先人の姿勢を、現在に引き継ぐ試み。今でも多種多様な職業の人たちがアメリカで俳句を詠んでいるが、それぞれの俳句の、いわゆる「アメリカ俳句」としての立ち位置にも迫る。

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