ロサンゼルス:嶋幸佑のアメリカ俳句鑑賞「吾が所有となりし畑や鍬始」

嶋幸佑が選んだ今日のアメリカ俳句(2019年12月3日)

「吾が所有となりし畑や鍬始」赤木タモツ(ユタ州ドレイパー)

アメリカのある州が、日本人の土地所有を禁じている、としたら。それが農民ならば、一生涯、小作農の身に甘んじなければならない。だから、もし田畑を所有できる州があるとしたら、そこに移り住まないだろうか。実質的に日本人を狙い撃ちした1913年の「カリフォルニア州外国人土地法」。おそらくタモツも、その法律を避け、ユタ州に移り住んだ日本人の一人だったのではないか。そもそもユタ州に日本人が住み始めたのは1890年前後とされており、主に農園労働者、鉄道工夫、鉱山・銅山労働者としてであったが、1915年生まれのタモツのように「外国人土地法」が足かせとなっていた農民は少なくなかっただろう。ともかく、そのころ日本人によって作られた俳句結社が、ユタ州には少なくとも二つあった。ソルトレークシティ南のドレイパー市近郊ビンガムキャニオンの「晴峰吟社」と、ソルトレークシティ北のオグデン市にあった「鷗吟社」である。タモツは住所がドレイパー市になっていたことから「晴峰吟社」のメンバーであったと思われる。おそらく小さなものだったろうが、自分の畑で初めて迎えた新しい年。その喜びを鍬を持つ手に感じているタモツの一句に、多くの同人が共感を覚えたに違いない。

【季語】鍬始=新年、「北米俳句集」(1974年刊)より

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嶋幸佑(しま・こうすけ)ロサンゼルス在住40年。伝統俳句結社の大手「田鶴」(宝塚市、水田むつみ主宰)米国支部の会員。ロサンゼルスの新聞「日刊サン」のポエムタウン俳句選者。

今から100年ほど前、アメリカに俳句を根付かせようと、農業従事者や歯科医など各種の職業に就いていた日本人、主にロサンゼルス地区居住の俳人らが、日本流の風雅を詠うのではではなく、アメリカの風俗・風土の中に、自分たちの俳句の確立を目指していた。

このコーナー「嶋幸佑のアメリカ俳句鑑賞」は、そうした先人の姿勢を、現在に引き継ぐ試み。今でも多種多様な職業の人たちがアメリカで俳句を詠んでいるが、それぞれの俳句の、いわゆる「アメリカ俳句」としての立ち位置も読み解く。

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