嶋幸佑が選んだ今日のアメリカ俳句(2020年5月13日)
「悲しければ松葉牡丹に手を触れぬ」水戸川光雄(ロサンゼルス)
太平洋戦争勃発で急きょ設営された10カ所の日系人強制収容所のうちの一つ、アイダホ州ミニドカの収容所に収容された光雄の作。光雄は後にカリフォルニア州ツールレークに送られたが、掲句は「ミニドカ吟社」の合同句集「草堤」に収録されている。
私は、ここに詠まれている悲しみはどんなものなのか、考えた。収容されたことによる悲しみはあったろう。しかし、松葉牡丹に手を触れようとする悲しみは、それとは違うように思えた。調べてみたら、ミニドカは関係者から「ベスト」と評価された収容所で、収容された人々を対象に行われた忠誠登録で、アメリカ政府への忠誠を問う「質問28」に98.7%が「イエス」と答えたとあった。志願兵として戦場に赴いた若者も多く、戦死の報が収容所に届くことも少なくなかったようだ。光雄が忠誠登録の質問にどう答えたか定かでないが、ミニドカからツールレークに移された経緯からすると、兵役の意思を問う「質問27」にも、アメリカ政府への忠誠を問う「質問28」にも「ノー」と答えたのではなかったかと思う。ツールレークはそんな「ノーノー組」が大勢送り込まれていたからだ。
してみると、ミニドカで忠誠登録に「ノー」と答えた光雄が、収容所の仲間からあまりいい目で見られなかったとしても不思議ではない。勿論、強制収容を正しいと思っている人はいない。しかし、兵役を志願した息子を持つ人たちが、収容の非を唱える光雄に距離感を抱くのは無理のない心理だろう。戦争が引き起こす複雑な状況がここにある。光雄の悲しみは、そういう状況に対するものだったのではないか。自分のバラックの前に植えた松葉牡丹に手を触れながら、悲しみに耐えている姿が目に浮かぶ。
光雄はツールレークでは文芸誌「鉄柵」や俳句会「鶴嶺湖吟社」に加わったが、そこでは「冬ざるる黄色な柵と監視塔」と詠む人になった。
【季語】松葉牡丹=夏、ミニドカ吟社句集「草堤」より
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嶋幸佑(しま・こうすけ)ロサンゼルス在住40年。伝統俳句結社の大手「田鶴」(宝塚市、水田むつみ主宰)米国支部の会員。ロサンゼルスの新聞「日刊サン」のポエムタウン俳句選者。
今から100年ほど前、アメリカに俳句を根付かせようと、農業従事者や歯科医など各種の職業に就いていた日本人、主にロサンゼルス地区居住の俳人らが、日本流の風雅を詠うのではではなく、アメリカの風俗・風土の中に、自分たちの俳句の確立を目指していた。
このコーナー「嶋幸佑のアメリカ俳句鑑賞」は、そうした先人の姿勢を、現在に引き継ぐ試み。今でも多種多様な職業の人たちがアメリカで俳句を詠んでいるが、それぞれの俳句の、いわゆる「アメリカ俳句」としての立ち位置も読み解く。
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