2018年9月8日、ホリデーイン・トーレンスで行われた「移民150周年―日系パイオニアに感謝する講演会」で話す三宅明巳さん、当時99歳だった。(Cultural News Photo/ Shige Higashi)

2018年9月8日、ホリデーイン・トーレンスで行われた「移民150周年―日系パイオニアに感謝する講演会」で話す三宅明巳さん、当時99歳だった。(Cultural News Photo/ Shige Higashi)

ロサンゼルス日系社会 2026|素晴らしき人生 : 107歳の三宅明巳さんを偲ぶ

By 鶴亀 彰(ロミタ在住)

2026年9月21日、オレンジ郡のタスティン市にお住まいだった三宅明己さんが天国に旅立たれました。その一ヵ月ちょっと前の8月12日に107歳の誕生日を迎えられ、親しい友人達から贈られた誕生日ケーキを手にして満面の笑顔で感謝を述べられたばかりでした。大往生でした。

この悲しいニュースをメールで私に知らせてくれたのは長年オレンジ郡日系協会(OCJAA)の会長を務めた藤田喜美子さんでした。同協会は1986年に日系コミュニティの発展を願い、三宅さんが親しい仲間に呼び掛け、創った団体です。創設者である彼が初代会長となりました。それから40年後の現在、オレンジ郡在住の日系人を統合する、中心的な組織に育っています。

三宅さんは1919年にカリフォルニアのアーケディアで生まれ、4歳の時に、日本の故郷での教育を願った両親に連れられて広島県に移住しました。日本で育った、いわゆる帰米二世です。農業学校を卒業し、大陸での農業に従事すべく、満州開拓青年団として雄飛を考えました。しかし、父親の「満州に渡る前に、自分が生まれたカリフォルニアを一度覗いたらどうだ」との言葉で彼の人生は変わりました。その時、彼は18歳でした。姉夫婦を頼ってロサンゼルスを訪れた三宅さんでしたが、日本へ戻り、満州に渡る前に、太平洋戦争が始まりました。

1942年に約12万人の日系人は強制収容所に送られましたが、彼はその直前に自発的にユタ州のソールトレークに移住し、農業に従事しました。戦後、ロングビーチやスタントン、そしてサンディエゴなどで農業経営を通じ、成功を収めました。そして彼の日系社会への貢献人生が始まりました。ビジネスの傍ら、南加広島県人会をはじめとする数多くの日系団体の役員を歴任しました。その過程の中で、創設されたのがオレンジ郡日系協会でした。

彼の長年の日系社会への貢献が評価され、1983年には旭日双光章、2000年には勲四等瑞宝章、2019年には第79回二世週祭でのグランドマーシャルなど、数々の内外の名誉を得た三宅さんですが、人柄は実に謙虚で、笑顔で誰にも優しく接していらっしゃいました。私は一度OCJAAの会報誌のための記事を書いた際、彼に半日取材したことがあります。その時の質問の一つは「三宅さんはどうしていつもそんな人に優しいのですか」でした。答えは「私には一杯感謝があります。若い頃、医者から見放されるほどの大病を信仰のお陰で克服しました。その信仰は世界救世教の浄霊でした。それ以後、私は心からの感謝を表したく、熱心な信徒となると共に、なるべく多くの人に親切にしようと心掛けて来ました」だった。

2018年、日本人移民150周年を記念する「日系パイオニアに感謝する講演会」がトーランスのホリディインで開催されました。そこで彼は上下真っ白のタキシードに胸に真っ赤なバラの花を挿して舞台に立ちました。観客から彼に健康長寿の秘訣を知りたいと質問がありました。答えは「好き嫌いをしないこと、禁煙、少しの赤ワイン」でしたが、皆を驚かせたのは「1日3回、アロエを皮ごと食べること」でした。「アロエは苦いけれど、よく噛めば噛むほど唾液がたくさん出て、消化器系を活性化させるので、毎食の度に食べています」との説明でした。私も真似しようと思って食べてみましたが3日で止めました。

彼の健康習慣のもう一つは皆と楽しく何かを行うことでした。その一つがシニア向けのスポーツでした。30年も前にゲートボールをコスタメサやガーデナで紹介し、広めました。また10年も前からはよりシンプルなグラウンド・ゴルフを仲間と楽しみました。こちらの方が、団体戦のためプレッシャーがかかるゲートボールより、もっと気楽に個人のペースで楽しめるからだそうです。100歳を越えても三宅さんは自分で運転し、仲間達と出会い、楽しんでいました。現在もガーデナのケン・ナカオカ・センターで毎週土曜日シニアの皆さんが和気藹々とおしゃべりしながら、身体を動かしていらっしゃいます。

「お世話になった日系社会に少しでもお役に立つこと、これが私の生き甲斐であり、喜びです」といつも語っていた三宅さんはいなくなりました。しかし、彼の遺志を受け継ぐべく、南加広島県人会も、オレンジ郡日系協会も、世界救世教も、グラウンド・ゴルフも彼への尊敬と感謝の思いで、続いて行くことでしょう。「日本語族も英語族も言葉の違いを越えて、理解し合い、一緒に素晴らしい日系社会を築いて欲しい。思いやりに溢れた社会になって欲しい」という三宅さんの声が笑顔と共に聞こえるようです。三宅さん、ありがとうございました。天国でも楽しくお過ごしください。

(終わり)