ロサンゼルス在住、鶴亀彰  (つるかめ・あきら) 2021年11月9日

長年、ロサンゼルスで、ジャパン・アメリカTVを通じて、毎週末、ローカル・ニュースや国内外のニュースを日系コミュニティに届けていた北岡和義さんが、日本時間10月19日に東京・お茶の水の杏雲堂病院で亡くなりました。

北岡さんは1979年9月に渡米し、USジャパン・ビジネス・ニュースで編集長になりました。その年の10月に、私がメキシコのティファナでメキシコとロサンゼルスのジェトロ、JBAと一緒にメキシコのマキラドーラ視察と研修セミナーを主催しました。

その時に、渡米ほやほやの北岡さんと知り合いました。それ以降、彼が日大国際関係学部特任教授として2006年、日本に戻るまで、公私共に親しくお付き合いしました。

日本帰国後も、私が訪日の際にお会いしたり、または彼が静岡新聞等に寄稿記事を執筆する際などにもしょっちゅう日本から電話が入り、極めて最近、9月までお話していました。

また、私が運営員を務めているシニアの自立独立を支援し合う「チャランポランの会」が発行している季刊会報誌「かわら版」にも、ロサンゼルス在住の私達を忘れず、最初のゼロ号(2019年)から毎号欠かさず「ジャーナリストの目」というタイトルで、東京から情報発信してくれれました。10月1日に発行した10号の寄稿は、北岡さんの最後の寄稿となりました。

北岡さんを知る多くの人々が悲しさと寂しさを覚えています。彼の1979年の渡米から2006年の帰日までの27年間のロサンゼルス生活のみならず、日本での日大国際関係学部特任教授ならびに、フリーランス・ジャーナリストとしての彼の活躍を知る人は少なくありません。

仕事の傍ら、彼は在外投票制度訴訟原告団副団長として、1996年から3年間、頑張り、見事に最高裁での勝利を勝ち取りました。今日、海外に住む日本人が国政選挙に参加出来るようになったのは彼と仲間の皆さんの努力のお蔭です。

2017年12月に肝臓癌が見付かり、余命3ヶ月から6ヶ月との宣告にも拘わらず、それから3年10ヶ月生き抜きました。手術や抗がん剤治療で一時元気を取り戻すと、「ガンと生きる~北岡和義残命録」と題したブログを立ち上げ、冷徹な目でガンを直視し、発信しました。

また2019年6月にはロサンゼルスを訪れ、「ガンとの共生セミナー」と題し、チャランポランの会とオレンジ郡日系人協会、敬老、倫理法人会との共催で講演を行いました。彼の不屈の精神には皆が脱帽しました。

最後に彼の薫陶を受けたある女性ジャーナリストの言葉を記し、私の追悼文とさせて頂きます:肝臓癌のステージ4を宣告された後も、最後までジャーナリスト魂を貫いて生きた北岡さんの姿からたくさんの学びと気づきをいただきました。

誰に対しても分け隔てなく勉強不足の我々を育てようとしてくださり、厳しさの中に大きな優しさでみんなを見守ってくださった北岡さん。訃報を受けた後、1日1日が過ぎるたび、悲しみが深まります。もっとお話をいろいろ聞きたかったという思いでいっぱいです。

 

鶴亀彰さんの略歴=1966年、企業駐在員として渡米、ロサンゼルスとニューヨークで勤務。1980年に日米のビジネス交流を支援するカリフォルニア・コーディネーターズ社を起業、40年間に渡り、日本から米国やメキシコに進出する日本企業支援、米国市場を目指す米国ベンチャー企業の支援を行う。

金沢大学大学院の客員教授や中央大学商学部の客員講師などを務める。2018年には雲田康夫さん等と一緒に、「日系パイオニアに感謝する会」を提案、実現し、2019年は雲田さん、鳥居欣一さん、高山秀男さんと発起人の一人となり「チャランポランの会」を設立、現在、同会の運営委員を務めている。