
徳島市在住 稲井一雄(いない・かずお)
(毎月第3水曜日、ロサンゼルス時間・午後6時から8時まで、オンラインで「源氏物語を読む」セミナーをカルチュラル・ニュースが主催しています。徳島市の稲井さんは、そのオンライン講座の参加者です)
2025年5月18日掲載
源氏、狭衣と言って、かつて源氏物語は、狭衣物語と並び称されていました。狭衣物語は端正・緻密な揺らぎのない文章で、源氏よりももっと完成度が高いように思えます。現代的なテーマ(例えば、ennui倦怠、gloomy憂鬱など)さえ感じます。六条斎院媒子(ばいし)内親王家宣旨(せんじ)の作とされています。その後、不思議なことに、狭衣の名声は聞かれなくなりました。明治期になると、源氏物語の評価にも異論を唱える人々が出てきました。例えば、森鴎外は悪文だと評しましたし、正宗白鳥も無類の悪文だと言いました。一文の長さやねじれや曖昧さや主語の省略などのゆえでしょうか。現代の文章の考え方に照らせば、源氏物語の文章は完全に失格です。では一体、源氏物語の何が我々を魅了するのでしょうか。
源氏物語を理解するには、声に出して読むのが一番です。快いリズムに酔いしれます。少々分からない言葉や意味は気にしないことです。文法も無理に考える必要はないと思います。日本語の語順は昔も今も変わりないからです。重要古語は辞書で確かめ、難解箇所は注釈書を参考にしますが、何度も繰り返して朗読するうちに、言葉の続き具合から行動主体の区別や発言理由がはっきりしてきます。紫式部の息遣いさえ感じます。昔の人は言いました。読書百遍、意自(おの)ずから通ず、と。
源氏物語の巻々で、最も優れた巻は桐壺の巻だと、昔は評されていたようです。鎌倉前期の文学評論書に、『無名草子(むみょうぞうし)』という本があります。著者は、藤原俊成の女(むすめ)ではないかと言われています。源氏物語について、次のように述べています。心の底から優れていると思われる巻は、桐壺の巻より他にあるでしょうか。「いづれの御時にか」と語り始めたところから、源氏の元服のところまで、言葉の続き具合、言い表し方を初め、身に沁みる悲しみがこの巻に満ち満ちています、と。五十四帖の中で最も優れた巻は、桐壺の巻だと言うのです。そこで桐壺の巻を例にとって、その魅力を述べてみます。
源氏物語のどこがいいのか、桐壺の巻の前半部分をちょっと読むだけで分かります。最初は大まかに出来事を語っています。いつの時代の帝だったのか分かりませんが、お妃が大勢おられる中で、さほど身分は高くないけれども、帝から特別に愛されたお方がおられました。他の妃達から恨まれ、蔑(さげす)まれ、そのために病気がちになり、心細げに里がちになりますが、帝は、いよいよ不憫にお思いになり、人の非難を顧みず、目に余るほどの御寵愛(ごちょうあい)ぶりをなさいます。宮中出入りの上達部(かんだちめ)・上人(うえびと)までもが、このお二人に目を背けるようになり、お二人の噂が都中に広がりました。
次に、そのお妃について触れます。宮中で様々な不都合が生じますが、帝のかたじけないご愛情の類なさを頼みにお仕えしておりました。父の大納言は亡くなって、母北の方が後ろ盾です。昔気質(かたぎ)の由緒ある人で、有職故実(ゆうそくこじつ)に詳しく、権勢を誇るお家のどの方々にも劣らず、何事の儀式をも無難にやってのけます。父親は大納言だったので、このお妃の身分は「更衣(こうい)」です。更衣は女御(にょうご)の下の位です。ただ強力な後ろ盾がいないために、特別な行事の折り折りには頼りなげであったとも述べています。
お二人の間に男の御子がお生まれになります。いよいよこの物語の主人公、光源氏の登場です。しかしそれがまた、波乱を呼び起こすのです。右大臣の娘、女御には、すでに一の御子がおられます。疑いなく将来は皇太子であると、誰からももてはやされています。しかし、この赤子の美しさには到底敵わないというのです。帝は、一の御子を型通りの可愛がりようで、二の御子をご自分の秘蔵っ子として特別に可愛がるのです。このお妃は元々高貴で軽々しい身分ではありませんが、帝が常にまとわりつかせるあまりに、何かの行事にかこつけて、まずこのお妃をお手許へ呼び寄せます。またある時は、夜を共にして寝過ごしてしまい、彼女を局に帰さずにそのまま仕えさせるなど、無闇にお側近くでお取り扱いなさいましたので、軽々しい存在に見えましたと、少し時間を遡らせて語ります。しかしこの御子がお生まれになってから、帝は彼女を格別に御処置なさるのです。それがまた原因で良からぬ事態が起こります。
一の御子の女御は、我が子が二の御子に取って代わられるのではないかと危惧します。女御は、誰よりも先に宮中に来て、帝の信望が厚く、他に皇子たちもいらっしゃいます。それで帝をお諌め申すのですが、帝はそれを煩わしく、心苦しくお思いになります。更衣は、かたじけない帝のご庇護を頼りにしながらも、難癖をつけて蹴落とそうとするお妃が多く、自分は非力で頼りない状態なので、却ってご寵愛を受けなければ良かったとさえ思うのです。話がここに来て、作者は「御局(みつぼね)は桐壺なり。」と具体的に場所を明かします。桐壺とは淑景舎(しげいさ)の別名です。そこは、他のお妃の局(部屋)よりも帝のお住みの清涼殿(せいりょうでん)から最も遠い局です。話はいよいよ広がってゆきます。
帝からお訪ねになる場合は、他の妃たちの局の前を通り過ぎなければなりません。指を咥えて眺める妃たちの思いはどんなものだったでしょう。きっと切なさと嫉妬で煮えたぎったことでしょう。逆に更衣が帝の許へ参るのが頻繁になりますと、打ち橋(うちはし)・渡殿(わたどの)に汚物を撒いて、一行の着物の裾を汚すといった嫌がらせをします。またある時は、馬道(めどう、二つの建物の間が通れるようにした廊下)の両側の戸を閉じて一行を閉じ込めます。向こうとこちらで示し合わせ、立ち往生させて恥をかかせます。そんなふうな事件が度重なって、更衣の心痛はますます酷くなってゆきます。
極め付けがこうです。「事にふれて、数知らず、苦しきことのみまされば、いといたう思ひ侘(わ)びたるを、『いとどあはれ』とご覧じて、後涼殿に、もとよりさぶらひ給ふ更衣の曹司(ぞうし)を、ほかに移させ給ひて、上局(うえつぼね)に賜(たま)はす。」と。これまで帝の前で何気ない様子で振る舞ってきた彼女ですが、度重なる妨害に遭い、堪えきれなくなり、誰の目からも悲しみの気持ちを隠すことができません。「『いとどあはれ』とご覧じて」には省略があって、書いてはありませんが、多分こうでしょう。帝は彼女に不審の訳をお尋ねになります。しかし彼女は、他人事をべらべら喋るようなお方ではありません。黙って俯いています。やきもきしたお付きの女房が、帝に事の仔細を申し上げます。帝はそこでやっと更衣の悲しみの原因を知るのです。周囲から持ち上げられて恵まれた男性などは、兎角ぼうっとしていて、生き残りを賭ける女の園の凄まじさと言うものを知らないのです。事の次第を知った帝は、なんとまあ可哀想なことよと更衣をつくづくとご覧になって、憐憫の情を覚え、善処しようとします。桐壺の更衣の居場所を近くに移します。元々住んでいた更衣の曹司(ぞうし)を空けさせ、上局(うえつぼね)にしました。退(ど)かされた更衣は、たまったものではありません。そこでまたその方から恨みを買うのです。ううんと唸ってしまいます。話を次々にここまで持ってくる作者の力量はすごいです。話の構成がとても巧みです。まさに話の天才です。源氏物語に惹かれるのは、流麗な文章に加えて、こうした話の面白さ、巧みさ、構成の緻密さです。
一つ引っかかったことがありました。作者は、桐壷の更衣について「いとやむごとなき際にはあらぬが」と書きながら、「初めよりおしなべての上宮仕えし給ふべき際にはあらざりき。おぼえいとやむごとなく、上衆(じょうず)めかしけれど」とも書いています。そこで改めて最初に「いとやむごとなき際にはあらぬが」と、なぜあえて書く必要があったのかという疑問を持ちました。父親の大納言は大臣の下(正三位)ですから、現代の我々からすれば、人も羨むほどの高位です。しかし作者は少し軽くあしらっています。そう言えば、清少納言も『枕草子』の中で、博士を「顔にくげに、いと下臈なれど」(84段)と書いています。文章博士は従五位下相当で、一般庶民からすれば、悪くない身分だと思いますが、完全に見下した言い方です。源氏物語の場合は、最高位もしくはそれ相当の人物を扱うからでもあるしょうが、源氏物語や枕草子は、帝や妃といった人々をも読者に想定しているからではないでしょうか。作者の立ち位置は高く、上から目線です。
ところで、桐壺の更衣がどんな人だったか、作者は具体的に語っていません。しかし、はっきりさせたところで、それは野暮というものです。江戸時代の俳論書である去来抄(きょらいしょう)の中で、去来の師、松尾芭蕉は「謂(い)ひ應(おほ)せて何か有る」と言いました。読者が人物を自由に想像すればいいのであって、はっきりさせる必要はないのです。私が思い浮べる桐壺の更衣像はこうです。桐壺帝が他のお妃を押し除けてまで熱愛するのですから、彼女は類まれな美しい女性でしょう。さらに昔の人々の美人像に従って言えば、体は小柄で、髪が背丈より長く、色白で、目顔立ちが整い、頬がふっくらしていたでしょう。また、他人の悪口など絶対に言わない口数の少ないもの静かな気品ある女性です。また昔気質(かたぎ)の母親、北の方に育てられたので、礼儀作法がちゃんとしていて、教養もかなりのもので、和歌の名手だったのではないでしょうか。
彼女の和歌は「かぎりとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり」のたった一首しか見当たりません。しかしその一首はと言えば、彼女が息も絶え絶えになり、死にゆく間際に帝に申し上げた作品です。歌になってなくても仕方がないのです。しかし縁語まで使用したちゃんとした歌ではありませんか。歌は、他人にピンとこなくても、本人同士が分かるように作るものです。帝には痛いほど彼女の気持ちが通じたはずです。普段の彼女は相当の歌の手だれだったと思います。私の知るかぎり、死の直前に立派な作品を口にしたのは、松尾芭蕉や正岡子規といった人物ぐらいです。以上が私の考える人物像ですが、他人に強いるつもりはありません。漫画のように、現代風の目元ぱっちりの美人でもいいのです。読者なりにヒロインを想像して、ロマンを大いに掻き立てましょう
源氏物語は、現代の文章を読むような態度で読んでは面白くないでしょう。その時代の女性が、その時代の言葉で、我々に親しく語りかけているのだと思って、それを想定しながら声に出して鑑賞することです。そうすれば、源氏物語はふんだんにその魅力を伝えてくれるでしょう。源氏物語の良さは、誰もが舌を巻くほどの語りの巧みさによる意外性や共感性にあるのです。
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稲井一雄:昭和二十年(1945)徳島市生まれ。生後4ヶ月の時、米軍のB29の空襲を受け、焼夷弾が家屋に二発命中し、火炎の中で奇跡的に救出された。高校卒業後、静岡大学人文学部に入学、国文学を専攻する。徳島県立高校七校で、現代文、古文を35年間教える。その間、徳島大学学芸学部国語教室に半年間国内留学、また、鳴門教育大学大学院学校教育コースに入学、2年後に卒業する。県立高校退職の後、私立徳島文理中学校高等学校で現代文を10年間教える。
趣味は、『源氏物語』古写本(影印本)を読むこと。ペンネーム「あやたけのぼる」で主に作詞を試みており、「鳴門便り」「徳島平野」「新町川」「阿波の土柱」「white sands」「熱き思いに」などの作品がある。その他、クラシックギターを弾くことや、新聞投稿すること。著作として、『稲井静庵の一族 阿波女性医師とその系譜』(風詠社、2024)がある。

