Inai No 6 KIsetsu

徳島市在住 稲井一雄(いない・かずお)

(毎月第3水曜日、ロサンゼルス時間・午後6時から8時まで、オンラインで「源氏物語を読む」セミナーをカルチュラル・ニュースが主催しています。徳島市の稲井さんは、そのオンライン講座の参加者です)

2025年7月24日掲載

伝統的季節の継承

今回はちょっと辛い話から始めます。私がいつも取っている地元紙の今年(2025)の6月25日付一面のコラムを見た時です。こんなことが書かれていました。

『6月は水無月(みなづき)と呼ばれてきた。雨の多い時季なのに、水がないとは不思議な話だと思っていたが、水無月の「無」は「ない」という意味ではなく、助詞の「の」として当てられているのだと最近聞いた。「水の月」なら納得だ。』と。

目を疑いました。そしてとても悲しい気持ちになりました。新聞コラムを書くほどの知識人が、こんな非常識な思い違いをするとは。万葉時代から古く存在する言葉を、現在の太陽暦に当てはめているのですから、季節が合わないのは当然です。

同紙の7月6日付一面のコラムも、同様の誤りをしていました。『あすは「七夕」。天上の世界では7月7日の夜、彦星(牽牛星)が天の川を渡り、織姫(織姫星)に会いに行く。・・・』という書き出しで、読んでいくうち、『前日の6日には、普段使っている硯や筆を洗う風習があるという。もともとは、きれいにした硯で七夕に供える詩歌を書くためだった。そこから転じて、手習いや勉学向上への願いを込めた。俳句の世界では、「硯洗う」がこの時季の季語になっている。たとえば、〈上達はみえねど硯洗いけり〉堀切玄蕃』と。

一見間違いのない順を追った書き方ですが、七夕を太陽暦の7月7日としているために、「硯洗う」を「この時季の季語」、すなわち夏の季語だと思っているのです。日本国語大事典(小学館)を見ると、「硯洗(すずりあらい)」の見出しで、「七夕の前夜、子供が硯や机を洗うこと。硯に梶(かじ)の葉を添えて、京都、北野神社の菅原道真の廟に供え、手習や学問の上達を祈る。」とあり、もちろん「秋の季語」としています。衒(てら)ったがための過失です。

筆者の誤謬は今後も繰り返されるでしょう。案の定、7月9日付のコラムにも、『「風冴ゆる」冬から「風光る」春へ。さらに新緑の初夏から「風涼し」の夏終盤へ。「風」を冠した季語はどれも趣深い。』という書き出しで始まり、終わり頃に『とはいえ、風は気まぐれで、ままならぬもの。ここ何年かを振り返るだけでも、党首の失言などがあって情勢が一変した国政選挙はいくつかある。▼〈風が吹き吹き笹藪の 笹のささやきききました〉(金子みすゞ「七夕のころ」)選挙戦はまだ折り返しの手前・・・』などと。

政局の風が吹く、有権者の囁きが聞こえる・・・。「うまい!」と叫んではなりません。猛暑の続く7月9日が、どうして「七夕のころ」の「風が吹き吹き」ですか。あと1か月ぐらい経ち、立秋も過ぎてくれば、そうなるでしょうけれども。俳句では、「風涼し」、「新涼」、「爽やか」といった語は秋の季語です。このコラムは、県民が手本にしたり、老人のボケ防止対策の書写に使ったり、学校のN I E(新聞を教育に)の授業で使用したりします。それだけにこんな誤りを撒き散らすのは、いかがなものかと思います。

現代日本人は伝統的季節を喪失しています。その理由は様々です。都市化で自然破壊が進んでしまったこと。ハイテク化で生活が便利になり、自然に触れなくなったこと。グローバル化、交通手段の著しい発達で、四季に関係なく世界中から野菜や果物が手に入り、季節を考えなくてよくなったこと。また、伝統的な行事まで、太陽暦で行うようになったことなどです。例えば、学校では太陽暦の7月7日に七夕祭りをして、願い事を書いた生徒の短冊を教室内に飾ったりします。七夕は本来旧暦の7月7日(今年は太陽暦で8月29日)の行事です。京都の北野神社では、七夕祭りを8月上旬にしています。伝統的な年間の祭礼を、昔通りの旧暦の行事として、令和元年(2019)に復興したそうです。さすがです。

夏の季節は、旧暦の4月5月6月に当たります。4月は卯月(うづき)、5月は皐月(さつき)、6月は水無月です。4月から説明します。

4月は卯の花の咲く月だからです。「卯の花の匂う垣根に、時鳥(ほととぎす)早も来鳴きて、忍び音(ね)漏らす、夏は来ぬ」と、日本の子供達がそんな歌を歌います。ホトトギスは、東南アジアから飛来する渡り鳥で、旧暦4月頃は山や山里にいて、5月になると人里に飛来して声高く鳴く夏の鳥です。冬季になると、また東南アジアへ帰っていきます。ホトトギスは漢字で、時鳥、郭公、子規、杜鵑などと書きます。

5月が「皐月(さつき)」なのは、サツキの花が咲くからです。その頃になると、徳島市では車窓から道路沿いに、サツキの花が一斉に咲いているのをよく見かけます。「さつきまつ花橘の香をかげば昔の人の袖のかぞする」(『古今集』139、よみ人しらず)とあるように、皐月になると、柑橘類は白い小さな花が咲き、上品な香りが漂います。徳島県はスダチの産地なので、以前我が家にもスダチの木があって、その頃になると白い花が一面に咲き、その花の香を嗅ぐのが好きで、よみ人しらずのこの歌を口ずさみました。

「いつのまにさ月きぬらむあしひきの山郭公(やまほととぎす)今ぞなくなる」(『古今集』140、よみ人しらず)とあるように、ホトトギスの声を家の近くで聞くようになります。またその月は五月雨(さみだれ)がよく降ります。梅雨(つゆ)のことです。梅雨と梅雨の晴れ間を「五月晴れ(さつきばれ)」と言って、束の間のスッキリした気分を味わいます。

「五月雨に物思ひをれば郭公(ほととぎす)夜ぶかくなきていづちゆくらむ」(『古今集』153、紀友則)。五月雨が降って物思いに耽っていると、ホトトギスが夜深くなって鳴き、どこへ去ってゆこうとするのだろうか。感傷的な気分になっているところにホトトギスが鳴いて、つい心を奪われる気持ちを歌っています。

また、「五月雨のそらもとどろに郭公なにをうしとかよだだなくらむ」(『古今集』160、紀貫之)。「よただ」は、夜通しの意です。五月雨の降る空を揺るがして、ホトトギスよ、なにを悲しいと思って、夜通し鳴くのだろう。「五月雨」と「ホトトギス」とは、共にセットで歌われてきました。

古今集の歌を踏まえた清少納言の『枕草子』にこんな箇所があります。「五月雨の短き夜に寝覚めをして、いかで人よりさきに聞かむと待たれて、夜深くうちいでたる声のらうらうじう愛敬(あいぎょう)づきたる、いみじう心あくがれ、せむかたなし。六月になりぬれば、音もせずなりぬる、すべて言ふもおろかなり。」と。さみだれの降る短い夜に目を覚まして、なんとかして人より先に聞こうと待たれていると、夜が深くなって鳴き始めたホトトギスの声は、洗練されていて魅力がある、とても心が動いてどうしようもない。水無月になると鳴かなくなってしまうが、それもひっくるめて全て素晴らしいと言っても言い足りない。日本人が古くから培って来た季節が受け継がれてゆくのです。

源氏物語帚木巻で、光源氏が宮中の宿直所(とのいどころ)で、頭中将(とうのちゅうじょう)達から女性論を聞いたのは、五月雨(梅雨)の降る夜です。宮中ではそんな夜は仕事がないので、退屈そのものです。いつの時代も同じですが、若い男達が集まって話題にするのは、女性についての体験談です。うぶな光源氏が先輩達からそんな機会に情報を得て、空蝉や夕顔への恋に発展していくのです。ぐっと時代が下って、江戸時代の松尾芭蕉の句に、「五月雨や集めて早し最上川(もがみがわ)」というのがあります。元禄二年(1689)の『奥の細道』の旅の途中、彼は梅雨期の最上川の増水を目撃したのでしょう。従来の季節を踏まえながらも、蕉風の基盤を固めつつある段階の迫力ある作品ではないでしょうか。

今年(2025年)の日本の四国地方の梅雨明けは、6月27日(太陽暦)でした。例年より20日早いだの、1951年以降の観測史上最も早いなどと、マスコミが報道しました。しかしその日は、旧暦の6月3日に当たり、水無月ですから、別に驚くほどのことではありません。今年の水無月は、太陽暦の6月25日から8月22日までです。期間が長いようですが、水無月が閏月(うるうづき)になっていて、大と小とが続くからです。旧暦は1年を13ヶ月としています。

旧暦6月、すなわち水無月は連日の猛暑です。積乱雲が発生して、時々雷雨になったりもします。最近は線状降水帯が局部的に居座ったりして、降り方が尋常ではないです。万葉集巻第十にこんな歌があります。「六月(みなづき)の地(つち)さへ割けて照る日にもわが袖乾(ひ)めや君に逢はずして」(1995、作者未詳)。水無月の土地は地割れして、かんかん照りの日が続くけれど、私の袖は乾いたりするでしょうか。あなたに逢えないで。水無月の特徴をうまく生かした夏の相聞歌(そうもんか)です。

上田敏の『海潮音』(明治三十八年、1905)は訳詩集ですが、上田敏のほぼ創作に近い作品が並んでいます。その中に、「水無月」という詩があります。原作者はシュトルム(ドイツの詩人)です。ドイツは北緯47〜55度ですから、日本の北海道より北に位置します。夏でもあまり暑くならず、降水量も少ないです。この詩は、日本の伝統的な季節を踏まえつつ、新時代の形式にふさわしい異国の水無月の世界です。

子守歌風に浮かびて、

暖かに日は照りわたり、

田の麦は足穂(たりほ)うなだれ、

茨(いばら)には紅き果(み)熟し、

小河には木の葉みちたり。

いかにおもふ、わかきをみなよ。

西洋の水無月は、快適で過ごしやすい月なのでしょう。どこかで赤子をあやしていて、微風が吹く中に子守唄が聞こえ、「暖かに日は照りわた」っています。麦の穂が垂れる麦の秋(夏の季語)であって、果実は熟し、木々の落ち葉は小川を埋め尽くしています。実り豊かな月だからと、乙女達は自分たちだけでおしゃべりを楽しんではいけない。なすべきことが他にあるのではないか。この水無月をどう思っているのか。ロマンの期待を感じさせる詩です。詩中の「をみな」は、語頭が「ワ行」なので、若い女性のことです。語頭がア行であれば、「おうな」「おむな」となって、老婆の意味になります。最後の「いかにおもふ、わかきをみなよ。」で、水無月の満ち足りた光景から一変して、若い女性への問いかけになり、精神的な重みが加わった詩になっています。

もう一つ、次の現代歌人の短歌はどうでしょうか。

ほととぎす

昔のこゑの

みな月の

陶質もろき

空の

いろかな

これは、徳島県の代表的歌人、柏原千恵子の作品です。彼女独特の知的感覚の妙を放っていて、ちょっと分かりにくいですが、私なりに解釈してみます。

彼女も清少納言と同じ様に、『古今集』の「こぞの夏なきふるしてし郭公それかあらぬかこゑのかはらぬ」(159)を踏まえています。去年の夏に盛んに鳴いて、古びれてしまった懐かしいそのホトトギスか、それとも別のホトトギスか分からぬが、声が変わらない。そんな歌です。従って、「昔のこゑ」とは、昔も今も変わらない懐旧を感じさせる特徴あるホトトギスの声という意味でしょうか。水無月は太陽光線が眩しく照りつけ、空の色は白っぽく熱気がムンムン伝わってきます。画家はそこに目立たない程度の淡い茜色を混ぜたりするでしょう。そんな水無月の空に瀬戸物を突(つつ)いてキズをつけるようなホトトギスの声が響き渡り、焼き物が完成する程の温度ではないために、空の色はどことなく締まりなく、陶質の脆さが感じられる。そんな歌でしょうか。従来の季節感を受け継ぎながら、現代風に仕上げた知的感覚の鋭い歌です。

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稲井一雄:昭和二十年(1945)徳島市生まれ。生後4ヶ月の時、米軍のB29の空襲を受け、焼夷弾が家屋に二発命中し、火炎の中で奇跡的に救出された。高校卒業後、静岡大学人文学部に入学、国文学を専攻する。徳島県立高校七校で、現代文、古文を35年間教える。その間、徳島大学学芸学部国語教室に半年間国内留学、また、鳴門教育大学大学院学校教育コースに入学、2年後に卒業する。県立高校退職の後、私立徳島文理中学校高等学校で現代文を10年間教える。

趣味は、『源氏物語』古写本(影印本)を読むこと。ペンネーム「あやたけのぼる」で主に作詞を試みており、「鳴門便り」「徳島平野」「新町川」「阿波の土柱」「white sands」「熱き思いに」などの作品がある。その他、クラシックギターを弾くことや、新聞投稿すること。著作として、『稲井静庵の一族 阿波女性医師とその系譜』(風詠社、2024)がある。