
徳島市在住 稲井一雄 (いない・かずお)
(毎月第3水曜日、ロサンゼルス時間・午後6時から8時まで、オンラインで「源氏物語を読む」セミナーをカルチュラル・ニュースが主催しています。徳島市の稲井さんは、そのオンライン講座の参加者です)
(2025年4月7日改訂)
わたしは教員時代の最初の頃、半年間の国内留学(徳島大学)を許されたことがありました。研修期間が与えられたのを機に、源氏物語五十四帖を三ヶ月で読み終えました。日本古典文学体系(岩波書店)のテキストで、頭注(上部にある注釈)を頼りに読みました。最後の宇治十帖辺りになると、辞書を引くことや頭注を見ることが少なくなって、読みのスピードが上がっていったのを覚えています。源氏の語彙数は案外少ないなと思いました。
そう言えば、更科日記の作者(菅原孝標の娘)は、源氏物語全巻揃いを伯母(右大将道綱母、蜻蛉日記の作者)から手渡されて読みました。その時の彼女は十三歳(1021年)でした。今で言えば、中学校1、2年生です。当時の受領階級(地方の国司長官)の娘は、その年齢で源氏物語がすらすら読めたのです。作者紫式部とほぼ同時代にいたからかも知れません。紫式部は、その頃存命中だったとも、他界していたとも考えられる微妙な時期で、貴族女性達の間では、源氏物語の評判が広く行き渡り、それを読むことのできた女性は、得意げに仲間達に中身や登場人物を吹聴して回ったのです。
わたしは二十代から八十歳のこの年齢になるまで、現代の活字テキストとは別に、源氏物語の古写本(影印本、古本の筆跡をそっくり写し取ったもの)を読んできました。現代の活字にすれば、わずか十数行ぐらいのペースです。しかしそのくらいのペースがちょうどよく、とても楽しい時間です。ストーリーの面白さより、文章そのものの良さを味わうのです。
源氏物語は、平安時代の口語に近い形で語りかけるように書かれています。声に出して音読すると、より作品が生きてきます。音楽のように言葉の響きやリズムが快く、たちまち古(いにしえ)の王朝世界にタイムスリップします。登場人物の影がそそと動き始め、情景がほんのり浮かんで、それは作者紫式部の息遣いそのものです。「物語」とは、人がものを語るという意味ですから、そうするのは当然のことと言えます。
現代のわたしと平安時代の孝標の女(むすめ)とは、読みの姿勢が異なっています。彼女の場合、物語に登場する女性達(紫のゆかり、夕顔、浮舟など)に憧れを抱きながら読んでいたのです。周囲の大人達が登場人物の噂をするからでしょう。流行の服を着たモデルさんの真似をしたいと思う現代少女と同じ気持ちのようです。源氏物語が、女の女による女のための文学と言われる所以は、そんなところにあるように思います。
さて、源氏物語の蓬生(よもぎゅう)の巻ですが、とても親しみを感じた箇所を述べてみます。
使ったテキストは、宮内庁書陵部蔵青表紙本源氏物語蓬生巻(三条西実隆筆)と、東山御文庫蔵源氏物語(各筆源氏)蓬生巻(兼好法師筆)です。実隆の方は達筆で比較的読みやすいのですが、兼好の方は癖があって少し読みづらいです。兼好とは、随筆『徒然草』を書いた吉田兼好です。この二つのテキストの間には、書写の時期や表記の仕方が異なっていて、読みの滞りをどちらかが解消してくれます。わたしのような一般庶民が、大切に保管されている貴重資料を、手軽に読むことができるなんて、なんとありがたい世の中でしょう。
蓬生の巻は次のような巻です。主人公光源氏(桐壺帝第二皇子)は、人間関係に失敗して政治的に追われ、京都よりずっと西の須磨・明石の地に流謫(るたく)の身となります。しかしやがて許され、都に復帰して栄華を得て、昔契った末摘花(すえつむはな)の許を再び訪れるというものです。
ヒロインを指す「末摘花」という言葉からして面白いではありませんか。元々紅花(べにばな)という草の異名で、茎の先端に咲く花を摘んで紅を作ります。そしてその紅は、絹布を染めたり、化粧の材料にしたり、おめでたい赤色に食品を染めたりします。
彼女は決して美人ではありません。彼女の鼻は先が尖っていて、そこが赤い色をしています。地位(その時の光源氏は内大臣)や物心両面に申し分のない光源氏は、そんな彼女をとても大切にします。彼女の人柄が純粋だったのかも知れませんが、なんとも奇妙な話です。
光源氏が失脚して須磨・明石に去ってから、両親を亡くした末摘花の御殿は荒れに荒れ、庭の木々は鬱蒼として薄気味悪く、夜はフクロウの声が聞こえてきます。築地(ついじ、塀のこと)も崩れ落ちて、牛馬の飼い主までが牛馬を引き連れ、敷地内を草場代わりに踏み込んでくるという始末です。それでも彼女は、通わなくなった光源氏を一途に慕い続けます。
すると末摘花の困窮ぶりにつけ込んで、彼女の屋敷や家具を購入したいと申し込んでくる裕福な人々がいました。最後まで止(とど)まって彼女に仕える女房(にょうぼう、侍女のこと)も、「もう耐えられませんわ。道具なんか手放して生活の足しにしましょう。」と彼女に泣きつきますが、末摘花は頑として応じません。「屋敷内はどこも恐ろしげに荒れ果てているけれど、この家には両親の面影を残している気がするの。お道具類もお父上が大切にしていたわ。ここに居ると寂しさや恐ろしさが和(なご)んできます。だから売却の必要なんかないのよ。」と、飲まず食わずの状況の中で、末摘花は家屋敷や家財道具を決して手放そうとしなかったのです。
わたしはそんなくだりを読んで、涙が出るほど感動しました。実はわたしもそれと似た思いや経験を持っています。
わたしが今住んでいる家は、両親が建てた木造二階建ての旧建築で、築60年になります。両親は他界して空き家になり、長らく誰も住んでいませんでした。そこへ台風の直撃を受け、破風(はふ)が裂けて雨水が侵入し、家の内部に泥が溜まり、廃屋同然でした。しかしそれをわたしはあえて修理し、屋根や外壁を塗り替え、一千万円以上の大金を工面して内部をリフォームしました。
なぜそこまでしてそんな家に移り住んだのかと言えば、やはり両親との思い出が詰まった家だからです。廃屋だったとは言え、家を壊して更地にはできませんでした。頑固とも思える末摘花の思いと全く同じです。末摘花に親しみを覚え、源氏物語がますます身近なものに思えました。
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稲井一雄:昭和二十年(1945)徳島市生まれ。生後4ヶ月の時、米軍のB29の空襲を受け、焼夷弾が家屋に二発命中し、火炎の中で奇跡的に救出された。高校卒業後、静岡大学人文学部に入学、国文学を専攻する。徳島県立高校七校で、現代文、古文を35年間教える。その間、徳島大学学芸学部国語教室に半年間国内留学、また、鳴門教育大学大学院学校教育コースに入学、2年後に卒業する。県立高校退職の後、私立徳島文理中学校高等学校で現代文を10年間教える。
趣味は、『源氏物語』古写本(影印本)を読むこと。ペンネーム「あやたけのぼる」で主に作詞を試みており、「鳴門便り」「徳島平野」「新町川」「阿波の土柱」「white sands」「熱き思いに」などの作品がある。その他、クラシックギターを弾くことや、新聞投稿すること。著作として、『稲井静庵の一族 阿波女性医師とその系譜』(風詠社、2024)がある。

