嶋幸佑が選んだ今日のアメリカ俳句(2019年12月30日)
「進駐の兵に初富士ありにけり」青砥疎影(あおと・そえい/ロサンゼルス)
俳句は「詠み半分、読み半分」とよく言われる。作者の意図とは異なる句意の解釈に基づいて佳句と評価されることもよくある話だ。その場合、どうしたらいいか。解釈が難しい句で、句意を推し量ることを可能とする何のヒントも見つけることができない場合、どれだけ正確にその句を読むことができるだろうか。そんなことを考えながら、掲句を読む。よくある話だが、この作者についての情報はほとんど持ち合わせていない。そこで「北米俳句集」に収められている作者の自選20句を見てみる。「今一度童にかへり蝉追はん」「故国のこと心はなれぬ夜寒かな」。ふと、この人は帰米二世ではないかという気がしてきた。米国で生まれ、教育のために幼少のころ日本に送られ、その後米国に戻った日系人のことだ。彼らは、幼少のころを過した日本のことが、年老いてからも忘れられない。生まれからすれば故郷は米国だが、日本は心の故国なのだ。そう思いながら掲句をもう一度読む。すると、この「進駐の兵」というのは作者自身のことではないかと思った。日英両語を解することで、進駐軍の一員として日本に送られた。駐屯していたのは富士が見えるところだ。そこで新しい年を迎え、初富士を仰ぐ。幼いころと違って、今度はアメリカの兵士として日本にいる自分。溢れんばかりの思いが作者の胸に沸いてきたのだった─。この解釈は外れているかもしれない。しかし、このように読んでも作者は怒らないだろう。草葉の陰でほくそ笑んでいるかもしれない。
【季語】初富士=新年、「北米俳句集」(1974年、橘吟社刊)より
+
嶋幸佑(しま・こうすけ)ロサンゼルス在住40年。伝統俳句結社の大手「田鶴」(宝塚市、水田むつみ主宰)米国支部の会員。ロサンゼルスの新聞「日刊サン」のポエムタウン俳句選者。
今から100年ほど前、アメリカに俳句を根付かせようと、農業従事者や歯科医など各種の職業に就いていた日本人、主にロサンゼルス地区居住の俳人らが、日本流の風雅を詠うのではではなく、アメリカの風俗・風土の中に、自分たちの俳句の確立を目指していた。
このコーナー「嶋幸佑のアメリカ俳句鑑賞」は、そうした先人の姿勢を、現在に引き継ぐ試み。今でも多種多様な職業の人たちがアメリカで俳句を詠んでいるが、それぞれの俳句の、いわゆる「アメリカ俳句」としての立ち位置も読み解く。
+
このコーナーへの感想は editor@culturalnews.com へ送ってください。