嶋幸佑が選んだ今日のアメリカ俳句(2019年11月11日)

「葱汁や両隣共日本人」天川物丸(バークレー)

作者は、カリフォルニア州オークランドにあった「さゞなみ吟社」の同人。サンフランシスコの「日米新聞」が当時紙面で展開していた「蝉蛙(せんあ)会」の選者・森素人が同吟社の主宰だったようだ。掲句、葱汁をどこで食べているかがまず気になるが、バークレーかサンフランシスコ、あるいはオークランドあたりにあったレストランではないだろうか。葱汁とあるから、やはり日本食レストランだ。寒い冬の夕、おそらく独身だった作者が、仕事を終えて夕食を日本食レストランで摂っている。当時、日本からは単身でアメリカに渡った男性が多く、結婚相手となり得る日本人女性が少なかったため、家庭料理にありつける人は少なかった。葱汁を啜りながら、右隣も左隣も日本人だったことにふと気付いた作者。もち論、両方とも男性である。決して自分の今の生活に満足しているわけではないが、同じ境遇の日本人がそこにいることに思いをいたしながら、葱汁で体も心も温もっていくのを感じている。ただ単に事実関係を描写しただけの句だが、季語の「葱汁」が絶妙に生きている。

【季語】葱汁=冬、1934年8月1日発行の「北米句集」より

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嶋幸佑(しま・こうすけ)ロサンゼルス在住40年。伝統俳句結社の大手「田鶴」(宝塚市、水田むつみ主宰)米国支部の会員。ロサンゼルスの新聞「日刊サン」のポエムタウン俳句選者。

今から100年ほど前、アメリカに俳句を根付かせようと、農業関係者や歯科医など各種の職業に就いていた日本人、主にロサンゼルス地区居住の俳人らが、日本流の風雅を詠うのではではなく、アメリカの風俗・風土の中に、自分たちの俳句の確立を目指していた。

このコーナー「嶋幸佑のアメリカ俳句鑑賞」は、そうした先人の姿勢を、現在に引き継ぐ試み。今でも多種多様な職業の人たちがアメリカで俳句を詠んでいるが、それぞれの俳句の、いわゆる「アメリカ俳句」としての立ち位置も読み解く。

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