ロサンゼルス:嶋幸佑のアメリカ俳句鑑賞「草の実に帰国心のいまはなし」

嶋幸佑が選んだ今日のアメリカ俳句(2020年10月7日)

「草の実に帰国心のいまはなし」臼田天城子(ミシガン州)

遺句集「楡の落葉」に収められている一句。「ホトトギス」に入選し、1939年1月号に掲載された。天城子は1892年、富山市に生まれ、1919年いったん渡米、約1年ロサンゼルスで過したあと帰国し、1921年に再渡米してオレゴン州に住んだ。戦時中は収容所/抑留所を転々とし、戦後デトロイトに移って1955年10月30日に死去。

天城子の句を取り上げるのはこれで3句目。以前は戦時中の強制収容所内で詠んだ「嶺々暗らく朝焼け空に皆祈る」「ガード優し遅々と苅りゐる黒人兵」を取り上げたが、今回は戦前の句。最初の渡米から20年後、ポートランドでの作である。当時、何か商売を営んでいたと思われる。

1920年ごろからの米国の歴史は、排日の機運が勢いを増していった時期だった。排日土地法や新移民法(排日移民法)が相次ぎ制定される。満州事変で米国の対日感情の悪化も影を落としていた。「日本に帰るものが少なくなかった」(1961年、新日米新聞社刊「米国日系人百年史」より)。掲句は、そんな状況の中で詠まれたものだ。天城子自身、帰国を考えていたことをうかがわせる。

そんな時、天城子が目にしたものは草の実だった。何の草か分からないが、目立たない小さな実であることは間違いない。そんな草もちゃんと実を付けている。そこに自分の50年近い人生を重ねたのだろうか。小さいながらも、実を付けた自分の人生がここにある。そして「帰国心いまはなし」と言い切った天城子。

最近、私の身の回りで日本に永久帰国する人が目立つが、帰国するか米国に永住するかの判断は、当時も今も、そう簡単なものではないだろう。ただ、当時の帰国は歴史に翻弄された要素が強かったという側面で、今とは違うと思う。

【季語】草の実=秋、遺句集「楡の落葉」(1957年刊)より

嶋幸佑(しま・こうすけ)
ロサンゼルス在住40年。伝統俳句結社の大手「田鶴」(宝塚市、水田むつみ主宰)米国支部の会員。ロサンゼルスの新聞「日刊サン」のポエムタウン俳句選者。

今から100年ほど前、アメリカに俳句を根付かせようと、農業従事者や歯科医など各種の職業に就いていた日本人の俳人らが、日本流の風雅を詠うのではではなく、アメリカの風俗・風土の中に、自分たちの俳句の確立を目指していた。

このコーナー「嶋幸佑のアメリカ俳句鑑賞」は、そうした先人の姿勢を、現在に引き継ぐ試み。今でも多種多様な職業の人たちがアメリカで俳句を詠んでいるが、それぞれの俳句の、いわゆる「アメリカ俳句」としての立ち位置も読み解く。

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