在米ジャーナリスト髙濱 賛(たかはま・たとう) 2026年3月29日

PACIFIC RESEARCH INSTITUTE - アメリカ各地で展開された「ノー・キングズ(No Kings)」運動は、単なる抗議デモの域を超えつつある。

今回の行動は過去10カ月で三度目の全国規模の動員であり、主催者側は数百万人規模の参加を主張している。ニューヨークやワシントンといった大都市だけでなく、中西部や南部の地方都市にも波及した点が特徴的だ。

この現象をどう見るべきか。

まず確認しておくべきは、この運動が単発の抗議ではないという点である。

複数の市民団体が連携し、継続的に全国規模の動員を実現している。その背景には、既存の政治プロセスに対する不信の塊がある。

この運動の名称である「ノー・キングズ」は、アメリカ政治の原点に立ち返るスローガンである。

独立以来、アメリカは世襲的権力、すなわち「王」を否定することで共和政を築いてきた。

近年、トランプ政権の統治スタイルに対して、権力の集中や個人化が進んでいるとの懸念が広がる中で、この言葉は象徴的な意味を帯びるようになった。

したがって、この運動は単なる政権批判ではなく、「アメリカの政治体制とは何か」という問いかけト言える。

抗議の対象は広範である。

イランへの軍事行動、移民政策、投票権、環境・医療政策など、多様なテーマが並ぶ。

しかし主催者自身は単一の要求を掲げていない。むしろ、多様な不満を束ねる「受け皿」として機能している点に、この運動の本質がある。

言い換えれば、「反トランプ運動」というよりも、「現在の統治スタイルへの抗議表明」である。

この点は1960年代から70年代にかけての反戦運動や公民権運動とは性格を異にする。

筆者は1970年代初頭、ワシントンで反戦デモを取材した際、寝袋を持ち込み、参加者と同じ場所で夜を明かしたことがある。

周囲にはマリファナの匂いが漂い、若者たちは思い思いに議論を交わしていた。

その中で、ある青年が小声でこう漏らしたのが印象に残っている。「ベトナムなんかに行って死ぬのはごめんだよ」

当時の運動は、戦争という具体的な現実に対する切実な拒否から生まれていた。

それに対し、今回の「ノー・キングズ」運動は、特定の戦争や法案に対する直接的な反対ではない。

統治のあり方そのものに対する違和感が、より抽象的な形で共有されている。そこに違いがある。

政治学者のフランシス・フクヤマ氏は、制度への信頼が揺らぐと政治的エネルギーが制度外へ流出すると指摘する。

この運動はその典型といえる。

注目すべきは、政治参加の形態の変化である。かつてのアメリカ政治は「説得」によって支持を広げることが基本であった。しかし現在は「動員」に重心が移り、既存支持層の結束が優先されている。

スタンフォード大学フーバー研究所の ラリー・ダイアモンド客員上級研究員は、こう指摘している。

「対話が縮小し動員競争が進めば、民主主義は劣化する」。

現状はその兆候を色濃く示している。

現地の様子を見ると、その広がりは明確である。地方都市から大都市まで幅広く動員が行われ、世代や地域を越えて参加が見られる。

もっとも、この運動には限界もある。

「第一に明確な政治目標を欠いていること。第二に組織的統一が弱いこと」(主要メディアの取材記者)である。

カリフォルニア大学バークレー校のマニュエル・カステル名誉教授(社会学者・コミュニケーション理論家)は、現代の運動を「ネットワーク型の怒り」と表現し、共通の不満は共有されるが解決策は収斂しにくいと指摘する。

この動きに対する政権側の反応はどうか。

ドナルド・トランプ大統領およびホワイトハウスは、こうした抗議運動を「急進的な政治勢力による動員」と位置づけ、政権の正統性を揺るがすものではないとの認識を示している。

とりわけ移民政策や治安対策をめぐっては、抗議の広がりをむしろ「強い統治の必要性」を裏付けるものとして説明する。

このような構図は、政権側と抗議運動の双方が互いを正統な交渉主体と認めていないことを意味する。

政治的エネルギーが制度の内外で分断されたまま併存する状態が生まれており、これが「制度外へのエネルギーの流出」という現象をさらに強めている。

もう一つ、1960年代から70年代の反ベトナム戦争運動や公民権運動を取材した筆者には、文化的表現のあり方の違いを痛感する。

当時はボブ・ディランやジョーン・バエズに象徴されるように、運動と結びついた音楽が広く共有され、世代の意識を形成する役割を果たした。

しかし今回の運動では、そうした象徴的な「歌」がほとんど生まれていない。

この背景には、運動の要求が単一の争点に収斂していないことに加え、メディア環境の変化がある。かつてはテレビやラジオを通じて共通の文化が形成されたのに対し、現在はソーシャルメディアを通じた分散的な情報消費が主流となり、共通の象徴が生まれにくくなっている。

言い換えれば、1960年代の運動が「共有された物語」と「共有された音楽」を持っていたのに対し、現在の運動は「共有された不満」はあるが、「共有された表現」を欠いているのである。

その影響は軽視できない。

繰り返される動員は政治環境に持続的な圧力を与え、間接的に選挙にも作用されるかもしれない。

今後、この動きは続くだろう。動員のインフラが形成され、「常時動員可能な状態」が維持される可能性が高い。

結局のところ、「ノー・キングズ」運動が示しているのは、アメリカ政治の構造変化である。かつては支持の広がりが勝敗を決めた。いまや、分裂しないこと、すなわち結束の度合いが結果を左右する。

この運動は政権を直ちに揺るがすものではない。しかし、政治の緊張を持続させ、社会の分断を可視化する装置として、今後もアメリカ政治の風景の一部であり続けるだろう。

さらに重要なのは、政治的対立が共有される一方で、それを媒介する文化的基盤が共有されなくなっている点である。1960年代の運動が共通の音楽や象徴を通じて「一つの時代意識」を形成したのに対し、現在は不満は広く存在しても、それを統合する共通の表現が欠けている。

言い換えれば、現代のアメリカ社会は「共有された怒り」は持つが、「共有された物語」を持たない。この断絶こそが、政治の分極化をより深く、持続的なものにしているのである。

在米ジャーナリスト高濱賛(たかはま・たとう)さんとは

要約英訳

This article examines the rise of the “No Kings” movement in the United States and argues that it reflects a deeper structural transformation in American politics. Unlike the anti-war and civil rights movements of the 1960s, which were driven by clear policy goals, the current protests express a broader unease with the nature of governance itself.

Drawing on firsthand experience covering anti-war demonstrations in Washington in the early 1970s, the author contrasts past movements rooted in concrete opposition—such as resistance to the Vietnam War—with today’s more diffuse and abstract forms of protest.

Political scientists Francis Fukuyama, Larry Diamond (Senior Fellow at the Hoover Institution, Stanford University), and sociologist Manuel Castells (Professor Emeritus at the University of California, Berkeley) are cited to show that declining trust in institutions, the shift from persuasion to mobilization, and networked forms of protest are reshaping political engagement in the United States.

The article also notes a key cultural difference: unlike the movements of the 1960s, which produced widely shared protest music, the current movement lacks a unifying cultural expression. This reflects both the fragmentation of political demands and the decentralization of media in the age of social networks.

The article concludes that American politics has shifted from persuasion-based consensus-building to mobilization-driven competition, and that today’s society shares political grievances but lacks a shared narrative, deepening and sustaining polarization.

Note: English translation prepared by the author. Translation assistance tools may be used.

参考文献

  • The New York Times, “A Show of Defiance Across the Nation,” 2026年3月28日
  • Reuters, “Protests Erupt Across U.S. Under ‘No Kings’ Banner,” 2026年3月27日
  • Pew Research Center, “Political Polarization in the American Public,” 2024年6月13日
  • Brookings Institution, “Political Mobilization and Party Transformation,” 2023年10月5日
  • Public Policy Institute of California, “Californians and Their Government,” 2025年2月18日
  • フランシス・フクヤマ『政治秩序の起源』
  • フランシス・フクヤマ『政治の衰退』
  • ラリー・ダイアモンド, Ill Winds, 2019年
  • マニュエル・カステル『ネットワーク社会の台頭』
  • マニュエル・カステル, Networks of Outrage and Hope, 2012年
  • ボブ・ディラン“The Times They Are a-Changin’,” 1964年
  • ジョーン・バエズ公民権運動関連楽曲
  • Todd Gitlin, The Sixties, 1987年
  • Clay Shirky, Here Comes Everybody, 2008年
  • Zeynep Tufekci, Twitter and Tear Gas, 2017年