松江久志(まつえひさし)「花宇宙」春の巻 (その九 )

 

「最後かもしれぬ桜見老耄のいのち尽くして老母は見給う」

「サクラ読本に育ちし親の無念さも時の経過に消えゆくのみか」

松江久志の著書「花宇宙」副題「松江久志の植物短歌歳時記」より

 

母を詠んだ歌である。舞台は歌人の故郷島根県松江市であろう。

最初の歌、老耄はロウモウと読み、老いぼれと言う意味だと言う。何故ここで母上を老い耄れ等と言うのか、いくらなんでも失礼ではないかと思うが、もしかしたら、これも一種の愛情表現であるのかも知れない。桜を見上げる母は、今年が桜を見る最後かもしれないと、言葉にして言う、そしてそれを脳裏に焼き付けようと見つめる。「老耄のいのち尽くして老母は見給う」息子としてその母を見るのもこれが最後かもしれない。「いのち尽くして」は息子が母を見つめる姿でもある。

二首目の歌のサクラ読本とは「小学国語読本」の巻一、これが発行された一九三二年は上海事件が起きた年であり、また前年の柳条湖事件に端を発し関東軍が満州全土を占領して満州国を建国した年でもある。この時期、教科書はすでに国民を戦争へ駆り立てる道具として機能していたのである。「サクラ読本に育ちし親の無念さ」とは軍国主義が日本を統治した時代(教科書まで使って)洗脳された国民が否応もなく悲惨な戦争に巻き込まれ、やがて無残な敗戦を迎える事を言う。ここで「親として」と強調するのには深い意味が有るのだろう、が、その痛みも時が経ち、過去の出来事として薄れて行こうとしている、それで良いのか、と歌人は問う。

この歌集では次に「軍国の思想が桜に託されし時代思えば桜は脆し」と続く。

 

満州国王溥儀の生涯を描いた「最後の皇帝」と言う映画を観た事が有る。関東軍によって満州国王と言う操り人形にされた男の生涯と、それを取り囲む日本人達が描かれていた。興奮と危険と隣り合わせのロマン(男女の恋愛の意味ではない)に満ちた時代。親達の世代が戦前に国を出て諸国で活躍した、それはまさに彼らの青春であった。

教科書と言えばサクラ読本の一九三二年から約二〇年後に小学校に入学した私はカラフルな教科書を貰ったのが信じられない程嬉しかった。

 

「桜

サクラ

Prums

Cherry blossom

Japanese cherry blossom

バラ科落葉花木

日本を代表する花木

ヤマザクラがサクラの原種

単弁で白く花と共に新芽がでる

 

【花言葉】優れた美人 精神美 純潔」

「花宇宙」より

 

歌人 石井志をん 千葉県出身、カリフォルニア州、サンタクルーズ・カウンティー、フェルトン市在住、日刊サン短歌部門の選者を務める、カリフォルニア短歌会会員、新移植林会員。
................................................................................二〇二二年一月記

 

(注、カリフォルニア短歌会はロサンゼルス在住の松江久志主宰、新移植林はロサンゼルス在住の中条貴美子主宰、どちらにも北米と日本の歌人が在籍)