2020年11月6日、ロサンゼルスにて、板橋恵理
他州に住む姉も、カリフォルニアに住んでいる私も白人アメリカ人と国際結婚をしている。と言っても姉も私も昔にアメリカ市民権を取得してあるので、正式に言えばアメリカ人同志と結婚していることになる。
国際結婚のことについてたまに人から聞かれる。お互い文化が異なる国で育った二人がどのようないきさつがあって結婚したか、そしてどんな難しさがあるのかが共通した質問だ。いきさつを答えるのは簡単でも、異文化を乗り越えた困難さについて語るのは、正直言って難しい。
日本で生まれた姉と私は、幼い頃から日本、ヨーロッパ、アメリカと三か国の異文化の中で、かつ各国で言葉に苦労しながら幼年期、青春期、そして成人期を過ごした。そのせいか、例え祖国の日本でも、異文化とさえ思う時期も体験した。よく言えば順応性、適応性を身につけることが出来、反対にどの文化にも属せないアイデンティティー不明の宙ぶらりん状態にいる感じによくなる。
昔から色々な人種と接してきたせいか、特別に意識してきたわけでもなく、たまたま出会い結婚した相手が白人アメリカ人だっただけである。結婚は、今後の長い人生を血の繋がりのない相手と過ごしていくのだから、人種問わず、まずはお互いの性格、価値観、希望等を重要視したと思っている。
私の夫は日本語は出来ないので、二人のやりとりは当然英語である。日本語が出来なくて不便ではないか、寂しくないかと人から聞かれたこともあるが、過去日本語を教えようと試みたら、凄い夫婦喧嘩になった。夫婦同士で何か教えあうのは喧嘩の元になるからしない方が良いと世間ではよく言うが、まさにそのとうりである。夫は言語には向いてないので無理に教えたり学ぶ必要もないのだ。しかし「ただいま」、「おかえりなさい」の挨拶だけは猛特訓して、今も続いている。
夫はたまたま日本食も大好きで、日本人でさえ嫌う納豆を好んで食べる。日本食だけでなく、他のアジア、エスニック料理も、辛いもの以外、殆ど何でもござれである。若い頃は、相手の食べ物に対する嗜好など、付き合いやデートするには無関係だったが、年齢を増すと共に大事な要素となった。同じ食事を楽しむことが出来るし、買い物、料理の点からみたら経済的、かつ実用的である。
二人とも自然を好み、更に税金や生活費がカリフォルニアに比べ断然低い中部の州で老後を過ごそうと、夫はよく半分冗談で言うが、日本食や他のアジア食品やらレストランが集中しているカリフォルニアから出るのは難しいと抗議すると、「確かに」と頷き沈黙する。
板橋恵理=関東地域で生まれる。家族の転勤と学校のため、幼年期から現在にいたるまで、日本ーヨーロッパー日本ーアメリカで生活する。現在は、アメリカ人の夫と老猫とロサンゼルスに在住している。趣味のひとつである太鼓にはまり、5年がたつ。老猫の名前もタイコ。
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