ロサンゼルス:嶋幸佑のアメリカ俳句鑑賞「屠蘇の酔覚めゆく街は異国なる」

嶋幸佑が選んだ今日のアメリカ俳句(2020年1月13日)

「屠蘇の酔覚めゆく街は異国なる」本田楓月(ポートランド)

アメリカ俳句の面白さは、普通の俳句にはない要素、つまり、アメリカという異国に外国人として暮らす日本人が詠んだ句であるということ、その要素があるために、そうではない場合には想像もつかない読みができることではないかと思う。季語にさえ、別の意味合いが含まれるようになる。作者は友人のところに新年の挨拶に行ったのだろう。日本の伝統に習い、屠蘇を酌み交わし、厳かに新年を祝う。しきりに近況や豊富などを語り合って、そろそろおいとまの時間だ。ほろ酔い加減で表に出た。その時、眼前に広がっているのが、幼いころから親しんでいた日本の街の風景ではないことにハッとした作者。屠蘇を酌み交わしながら、心はすっかり日本になっていたのだが、眼前の風景に愕然とし、思わず立ちすくむ。幼いころから親しみ、自分の人格の一部にすらなっていた街ではなくて、あくまでもアメリカという異国の街。自分の本質的な存在とは限りなく異質な、そしてその本質から限りなく遠い街。その瞬間、季語である屠蘇も、私たちが知っている味の屠蘇ではなく、どこか得体の知れない味の屠蘇に変質してしまうのだった。作者は、オレゴン州のポートランドにあった「フッド吟社」という結社の同人。他に、臼田天城子、臼田葉子、三宅太朗、和田可虚などの同人がいた。

【季語】屠蘇=新年、「北米俳句集」(1974年、橘吟社刊)より

+

嶋幸佑(しま・こうすけ)ロサンゼルス在住40年。伝統俳句結社の大手「田鶴」(宝塚市、水田むつみ主宰)米国支部の会員。ロサンゼルスの新聞「日刊サン」のポエムタウン俳句選者。

今から100年ほど前、アメリカに俳句を根付かせようと、農業従事者や歯科医など各種の職業に就いていた日本人、主にロサンゼルス地区居住の俳人らが、日本流の風雅を詠うのではではなく、アメリカの風俗・風土の中に、自分たちの俳句の確立を目指していた。

このコーナー「嶋幸佑のアメリカ俳句鑑賞」は、そうした先人の姿勢を、現在に引き継ぐ試み。今でも多種多様な職業の人たちがアメリカで俳句を詠んでいるが、それぞれの俳句の、いわゆる「アメリカ俳句」としての立ち位置も読み解く。

このコーナーへの感想は editor@culturalnews.com へ送ってください。