石井志をんの短歌研究、家族の歌: 門脇あい子「シャスタの峰」(その1)

門脇あい子(かどわき・あいこ)「シャスタの峰」(その1)
「泥道に砂をはこびて父上は集はす歌友を待ちていませり」

「短歌集 シャスタの峰」は門脇あい子の歌集である。門脇あい子は2019年の秋北米カリフォルニア、ロサンゼルス市で99歳と10ヵ月の天寿を全うした。同じく歌人である長女岩見純子によって編集されたこの歌集には一九歳から八十三歳までに詠んだ千五百四十の歌が収められている。因みに(ちなみに)カリフォルニア短歌会の主宰松江久志は娘婿に当たる。

門脇あい子は1920年北米ワシントン州タコマ市に生まれた。一歳に満たぬ時に鳥取県米子市の父方の祖父母に預けられ、名門と言われた米子淑徳女学校を卒業し一七歳でタコマ市近郊の父母の住む家に帰った。

冒頭の歌から彼女の父が歌人であった事を読み取る事が出来る。両親が歌詠みであるという環境に加えて生来の感性に恵まれたあい子は一九歳の時から八十三歳になるまで歌を詠み続けた。

歌集のタイトルであるシャスタとはカリフォルニア州北部に位置する標高三千六百フィートの麗山である。見る角度によっては霊峰富士を彷彿とさせる。

「着ぶくれて母と物植え吾がおれば冬日のさして背暖かき」

「ほうほうと人の聲(こえ)すも真向いの山の畑に馬使うらし」

「父母の帰り待ちつつ野風呂焚く薪にそぼふる夕時雨かな」

ここまでに上げた四首はいずれもシアトル市で発行された日本語の新聞「大北日報」に娘時代「渡辺あい子」の名で発表されたものである。この歌を詠んだ頃彼女はシアトル市中心に催されていた華陽会と言う短歌会に出席していた。

一七年間もアメリカと日本に離れていた親と娘にとってこの待ちわびた日々がどれ程幸せで有ったろうか。若い娘の目で見つめて切り取った風景に喜びが滲んでいる。

間も無く一九四一年ハワイの真珠湾攻撃から太平洋戦争は勃発し、一九四二年に家族は戦時収容所に強制立ち退きを余儀なくされる事になる。

(敬称略)

歌人 石井志をん 千葉県出身、カリフォルニア州、サンタクルーズ・カウンティー、 フェルトン市在住、カリフォルニア短歌会会員、新移植林会員。
二〇二一年二月記

(注、カリフォルニア短歌会はロサンゼルス在住の松江久志主宰、新移植林はロサンゼルス在住の中條貴美子主宰、どちらにもに北米と日本の歌人が在籍する)