石井志をんの短歌研究、家族の歌:河野裕子「たっぷりと飯を食わせて陽に当てし布団にくるみて寝かす幸せ」
河野裕子(かわの・ゆうこ)
「たっぷりと飯を食わせて陽に当てし布団にくるみて寝かす幸せ」
与謝野晶子の再来ともうたわれた戦後の日本を代表する歌人河野裕子が二〇一〇年の夏に乳癌で他界してから早くも一〇年が過ぎた。六十四歳は余りに早い死で、夫でこちも誰もが知る歌人で科学者でもある永田和弘(ながた・かずひろ)は、妻の乳房の異変に気付かなかったのは夫として失格だと自分を責めている。
二人の出会いは学生時代、短歌の研究会で、互いを「生意気な奴」と思った。河野は昭和二十一年生まれ、永田は一歳年下である。既に恋人が居た河野は「二人の人を愛してしまえり」と詠んでいる。河野を家へ送り届けて、バスも無くなった夜更けの道を青年永田和弘は近江から京都まで下駄ばきで歩いて帰ったと言うからその情熱が恋人から河野を奪ったのだろう。妻が逝って一〇年が過ぎた今も永田和弘は研究者として歌人として一人京都の家に住んでいる。
冒頭に挙げた歌は、母性を歌っているが、対象は子供ではなく夫である、これは僕の事ですよ、と永田は語る。読み返してみれば一つ年上の姉さん女房の余裕のような物が感じられる、二人は相聞歌を詠み、河野は女の肉体、精神、母性を詠み、短歌界を牽引していた。
「たっぷりと真水を抱きてしずもれる昏き器を近江と言えり」私の心を鷲づかみしたこの歌は湖に重ねて深い暗い女の身体感を暗示していると言う。
河野は他界する前にNHK短歌の 選者として私の歌を一つ佳作に選んでくれた。歌人河野裕子の大ファンである私にとっての形見で有り置き土産でもある。その頃詠んだ私の歌は今より瑞々しい。
「かすかなる音にも眉をひそませて乳飲みしまま吾子は眠りぬ」
歌人 石井志をん
千葉県出身、カリフォルニア州サンタクルーズカウンティ在住
カリフォルニア短歌会会員、新移植林会員
二〇二一年一月記
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