ロサンゼルス:嶋幸佑のアメリカ俳句鑑賞「一世の明治の歌や年忘」

嶋幸佑が選んだ今日のアメリカ俳句(2020年12月28日)

「一世の明治の歌や年忘」保田白帆子(モンテベロ)

1981年発行の白帆子の句集「恩徳」に収められている一句。訪れたカリフォルニア州やロサンゼルスの各地、計49カ所に分けて作品をまとめており、掲句は「日本人街」の項にある。ロサンゼルスの日本人街、リトル東京での一こまを詠んだものだ。

年末のリトル東京、レストランやバーなどで忘年会が開かれている。たまたま入った店でか、あるいは、店の前を通りかかった時にか、明治の歌が聞えてきた。紛れもなく、移民一世の日本人が歌っている。作者はその歌に懐かしさを覚える。読み手に懐旧の念を誘う句だ。

それにしても、この句が詠まれたのはいつのことだったのだろうか。白帆子自身、明治42(1909)年、広島市出身とある。だから、ひょっとしたら、明治の歌を歌っているのは白帆子自身だったのかもしれない。そうでなくとも、一世が明治の歌を歌っているとしたら、けっこう昔のことに違いない。明治の歌というのが何なのかも気になる。

白帆子は15歳の時、両親の呼び寄せで渡米。サウスパサデナに住んだが、父親の死去で庭師となり、ついで花栽培業を営んで家族を支えた。俳句は20歳のころから始め、ロサンゼルスの「橘吟社」で編集主任や雑詠選者を務める一方、「ホトトギス」にアメリカから入選した作品の句集(1958年、橘吟社刊)の編集も担当するなどした。

ともかく、今、日本人街で明治の歌を聴くことはない。日本人や日系人が忘年会をリトル東京で開くことすら、少なくなってしまった。白帆子がこの句を詠んだ時、すでにそうした傾向が始まっていたかどうか分からないが、いずれにしても、この句に「もっと元気を出そうじゃないか」と日本人に言っている意気を感じる。それは、白帆子の明治人としての気骨なのかもしれない。

【季語】年忘=冬、自身の句集「恩徳」(玉藻俳句叢書、1981年刊行)より

嶋幸佑(しま・こうすけ)ロサンゼルス在住40年。伝統俳句結社の大手「田鶴」(宝塚市、水田むつみ主宰)米国支部の会員。ロサンゼルスの新聞「日刊サン」のポエムタウン俳句選者。

今から100年ほど前、アメリカに俳句を根付かせようと、農業従事者や歯科医など各種の職業に就いていた日本人の俳人らが、日本流の風雅を詠うのではではなく、アメリカの風俗・風土の中に、自分たちの俳句の確立を目指していた。

このコーナー「嶋幸佑のアメリカ俳句鑑賞」は、そうした先人の姿勢を、現在に引き継ぐ試み。今でも多種多様な職業の人たちがアメリカで俳句を詠んでいるが、それぞれの俳句の、いわゆる「アメリカ俳句」としての立ち位置にも迫る。

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