嶋幸佑が選んだ今日のアメリカ俳句(2020年1月29日)

「元日や我に始まる一家系」常石芝青(ロサンゼルス)

以前一度紹介した常石芝青の句。今年で創立98年周を迎えたロサンゼルスの俳句結社「橘吟社」創立の立役者であり、橘吟社の会報「たちばな」の編集主任や雑詠の選者をたびたび担当。それだけでなく、1967年には初心者を対象に、ロサンゼルスの日系新聞「加州毎日」に俳句入門欄を設け、3年後にはそこから「巣燕句会」を創設したり、ロサンゼルス近郊のモントレーパーク市が市内の小学校で始めた英語俳句コンクールの選者を務めるなど、1987年に死去するまで、文字通り俳句に生涯を捧げた人だった。しかしその一方で、夫として、父親として、身を粉にする生涯でもあったようだ。10人の子どもをかかえ(一人夭逝)、戦時中はワイオミング州の強制収容所に。戦後間もなく夫人に先立たれ、日本に帰郷、再渡米、再帰郷して再婚、単独渡米、そして家族呼び寄せと、10年ほど俳句から遠ざからざるを得なかった。もち論、仕事のこともあった。俳句に復帰したのは1963年。「ホトトギス」への投句を再開し、1965年には「ホトトギス」の同人となった。掲句を得たのはそれから2年後の1967年、80歳の時。アメリカの土地に自分の家族が根を張っていく。孫もいたことだろう。新しい年を迎え、続いてきた3世代、あるいは4世代を今「家系」と捉えている。こと俳句でも、新聞に俳句入門欄を始めた、一つの節目の年だ。さまざまな思いが胸の中を駆け巡っていたに違いない。その末に、アメリカが自分の「祖国」であることを確信したことで得た一句だった。わずか3年前の1964年には「日本で死ぬも本望花の旅」と詠んでいた。家系としての実感は、重みがあった。

【季語】元日=新年、句集「菊の塵」(1975年発刊)より

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嶋幸佑(しま・こうすけ)ロサンゼルス在住40年。伝統俳句結社の大手「田鶴」(宝塚市、水田むつみ主宰)米国支部の会員。ロサンゼルスの新聞「日刊サン」のポエムタウン俳句選者。

今から100年ほど前、アメリカに俳句を根付かせようと、農業従事者や歯科医など各種の職業に就いていた日本人、主にロサンゼルス地区居住の俳人らが、日本流の風雅を詠うのではではなく、アメリカの風俗・風土の中に、自分たちの俳句の確立を目指していた。

このコーナー「嶋幸佑のアメリカ俳句鑑賞」は、そうした先人の姿勢を、現在に引き継ぐ試み。今でも多種多様な職業の人たちがアメリカで俳句を詠んでいるが、それぞれの俳句の、いわゆる「アメリカ俳句」としての立ち位置も読み解く。

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