ロサンゼルス:嶋幸佑のアメリカ俳句鑑賞「病室の一つの窓の春惜む」

嶋幸佑が選んだ今日のアメリカ俳句(2020年4月7日)

「病室の一つの窓の春惜む」桜井銀鳥(アリゾナ州ヒラリバー収容所)

俳句の、あるいは俳壇の「批評家」と言われた銀鳥の収容所時代の一句。収容されたアリゾナ州ヒラリバー収容所で作った個人句集「角蛙」に収められている。日米戦争勃発で西部諸州に住んでいた約12万人の日本人・日系人が急設された10カ所の強制収容所に送られたが、その中で俳句を詠み、俳句のグループができれば、その会報に作品を寄せたりした人は少なくなかった。ただ、収容所で自分の句集を出した人はそんなに多くはなかっただろう。「角蛙」は36ページ立て、手書きで和綴じ。計約150句を収めた。掲句は、収容所で病気になって病室で過した日のことを詠んだ作。何の病気かは分からないが、おそらく一日や二日ではなく、もう少し長い日々を病室で過したのではなかったろうか。ヒラリバー収容所では農業が盛んに行われたというから、そうした様子は病室の窓からもうかがえたのだろう。その窓に行く春を惜しむ気持ちを託したところが妙である。なお、銀鳥は「角蛙」の「序」で句集を作ることになったいきさつを述べているが、そこに収容所の雰囲気の一端をうかがうことができるので、引いておこう。「この間用があって、佐藤一棒さんをヒラニュースの事務所に訪ねると、どうです、あなたの句集を作りませんかとすゝめて呉れた。メス(食堂)も人手不足で忙しいので、どうしやうかと思案したが、折角の好志を無にするのも心苦しいのでヒラで作った句をあつめてみる事にした」。ちなみに、銀鳥はロサンゼルスに俳句結社「橘吟社」が設立された翌年の1923年、同吟社に入会。その後1936年に「オリーブ吟社」ができるとそれにも加わったが、そこにいたのが、やはり橘吟社でも活躍した佐藤一棒だった。ともかく、収容所で作られた手作りの句集の手触りと、それに添えられた「序」のリアルタイム感とが、作品に現実感を添えているのが嬉しい。

【季語】春惜む=春、銀鳥句集「角蛙」より。「たちばな七十年の歩み」参照

嶋幸佑(しま・こうすけ)ロサンゼルス在住40年。伝統俳句結社の大手「田鶴」(宝塚市、水田むつみ主宰)米国支部の会員。ロサンゼルスの新聞「日刊サン」のポエムタウン俳句選者。

今から100年ほど前、アメリカに俳句を根付かせようと、農業従事者や歯科医など各種の職業に就いていた日本人、主にロサンゼルス地区居住の俳人らが、日本流の風雅を詠うのではではなく、アメリカの風俗・風土の中に、自分たちの俳句の確立を目指していた。

このコーナー「嶋幸佑のアメリカ俳句鑑賞」は、そうした先人の姿勢を、現在に引き継ぐ試み。今でも多種多様な職業の人たちがアメリカで俳句を詠んでいるが、それぞれの俳句の、いわゆる「アメリカ俳句」としての立ち位置も読み解く。

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