“知の巨人”に出会う!‐ ES国語塾生との対話

宮崎隆 みやざき・たかし (2024/2/24)

黒い竜が空に舞い上がっていくような西の空。東には久しぶりの明るい月が望めて、昂揚した気持ちを受け止めてくれている。大学生と話して、帰宅した。

なにかと迷いが多いかれが、「立花隆の『脳を鍛える』を読んで、すごく感動した!モラトリアムの自分の指針のようにも思える。この気持ちを先生にも共有してほしいので、一度会ってくれ。喫茶代は出すから。」と言ってきた。そして、わたしにも読んでほしいとも。仕方ないので、図書館で借りて来て通読する。東大生あての講義録を本にしたもので、24年前の出版だ。とにかく頭の柔らかいうちに「知の構造改革」をし、シフトチェンジとパラダイムの変換が必要だ、と語る第1回、「自分の脳は自分で作れ」の第2回が、特に胸に刺さったようで、正直、第3回以降は、難しくて付いていけなかったらしい。

正直にそう語るかれに、わたしは、「まったくその通りで、立花隆の主張に異議などないが、なぜわたしに同意を得る必要があるのかわからない。そして、立花隆の言ってることは、もうずっとわたしがきみに言ってきたことだ。」と反応する。「そして、気づきを得て、なにか自己変革や具体的行動をやっているのか。それは聞きたいが。」と詰める。――どうやらかれは、そこで、立花隆の叙述に、止まっているらしい。ひたすら立花隆の物言いに感動し、昂揚した気分を他者と共有したいらしい。かれに言わせると、周りの大学生は、ちっとも本も読まないし、勉強しないし、周りの大人たちは、両親ともに、話にならない存在で、全く孤立してしまっているという。折角、付き合った女の子にも馬鹿にされたばかりとか。家庭のせいで「発達障害」に陥った自分には、どうにも踏み出す勇気もなく、何かやりだす自信がまるでないのだとも。だから、はなはだ受動的で、消極的だ。そう言いながら、立花隆の他の書物を何冊も鞄から出してくるかれを見て、ちょっとかわいそうになってしまった。とても「書を捨てて、街に出よ!」とは言えなかった。受け止めてやるしかないと。

ところで、わたしは、かれに勧められたこの本を読んで、別の感慨を味わっていた。第5回で、エラスムスに触れながら、ルターとの違いを述べ、立花隆が「自分も観客という種族なんだ」と自白しているところ。そうか、「知の巨人」ほどの人も、ジャーナリストなのであり、思想家ではないのだと、えらくわかった気持ちになったので。もちろん「ジャーナリスト」がいけないのではなく、人は「自分のタイプを見つけろ」であって、立花隆の評論家としてのすごさが分かり、あらためて、わたしは、その立場には立たないだろうと確信できたから。(第4回の小林秀雄批判の筆法の鋭さに息をのむ。さすが批評家と。)そして、大学生のかれがなぜにそんなに感動したのかも少しわかったよう気分にもなった。かれも「観客」という種族なのかも。みんな違っていていいいのだ。だから、黒い竜のような雲も、明るい月もがことさら美しく思えたのかも。

宮崎隆=関西の中高一貫私立校の国語の先生、ES国語塾の運営、派遣講師などをしながら日本語の表現を高めることを広めている。民謡の研究家でもある。