<五百らかん・バッハの会通信 第3号 2016年11月から>
2016年9月14日・午前10時・広島から9月15日・午後3時・陸前高田・普門寺へ
梶岡 秀 (かじおか・ひでし) 五百らかん・バッハの会 代表者
9月14日広島空港で東広島市在住の46年来の親しい知人、岩谷和夫さんと待ち合わせた。今回一緒に陸前高田市普門寺に訪問し、バッハ演奏を普門寺・五百羅漢に捧げる10年企画の第2回目の催しの準備から受付・後片付けまでを手伝っていただくことになった。
ANA3138便で広島空港を10時10分に立ち、仙台空港に11時40分ごろ到着した。空港内の駅から電車に乗り、JR仙台駅に12時半ごろ到着。駅から徒歩5分程度の宮城交通高速センターで高速バスに乗り、気仙沼経由して17時前うす暗くなりかけた陸前高田市に到着した。
宿泊予約をしている民宿吉田にタクシーで向かう途中、初めて陸前高田の奇跡の一本松を見学した。近づいて見あげると想像していたよりも高く、枝は先端部分に見られるだけで、津波が襲った高さを示していると思われる。あらためて津波の大きさに驚く。このような大津波に襲われながらも奇跡的に堪えて残ったので奇跡の一本松と呼ばれ、陸前高田の希望のシンボルとして多くの人々を惹き付けている。
(ウイキペディア引用:保護する活動が続けられたが、根が腐り枯死と判断され、その後に震災からの復興を象徴するモニュメントとして残すことになり、幹を防腐処理し心棒を入れて補強したり枝葉を複製したものに付け替えたりするなどの保存作業を経て、元の場所に再び立てられた)

写真1=「奇跡の一本松」を臨む。

写真2=「奇跡の一本松」と被災建物(陸前高田ユースホステル)、新堤防。
次に津波の恐ろしさを後世に語り継ぐため、震災遺構として保存されている旧「道の駅・高田松原」を訪問。遺構の前に立つと、外壁は残っているが、内部破壊状態から津波の力のすさまじさが伝わってくる。
一方、周りの風景は大きく変化しており、昨年、一昨年では写真4で示すようなかさ上げ用の土を運ぶ強大なベルトコンベアーが見られたが、今回は姿を消していた。また、海側には巨大な防潮堤が伸びているのが目についた。人工の構造物が自然の破壊力にどこまで耐えられるのか。三陸の人々の言い伝え「てんでんこ」が基本ではないかと改めて思った。

写真 3=遺構となっている「道の駅・高田松原」の建物。(2013年、清水顕・撮影)

写真 4=かさ上げ作業に使われていた巨大ベルトコンベアー(2013年、清水顕・撮影)
翌朝、岩谷さんと民宿・吉田から普門寺へタクシーで訪問する。1年ぶりに普門寺・五百羅漢と対面する。その後、挨拶とお願いのため熊谷住職を庫裏に訪ねた。今回も快く開催に当たっての協力をいただけることになった。
催しの準備に演奏台つくりから取り掛かる。演奏台の水平と安定を保つために用いる砂袋を物置から庭まで運び出す。これが結構な重労働。昨年とほぼ同じ位置に演奏台を配置する。
昼前になったので、陸前高田市の竹駒エリアにある仮設店舗「ジャズタイム・ジョニー」へタクシーで移動し、昼食を取る。このカフェに今年も昨年同様案内チラシも置かせて戴いた。昼食後、コメリ竹駒店で携帯ランタンの電池などを購入し、普門寺に帰る。受付机を設置し、昨年用いた蝋燭をチェックし、短くなった蝋燭は新しいものに交換した。
準備を終えた後、岩谷さんから普門寺本堂で「般若心経」を犠牲者に捧げたいとの提案があったので、熊谷住職に伺うと快く了解が得られ、私も一緒に読経した。

写真 5= 普門寺の境内に置かれている2011年大津波の犠牲者を悼む五百羅漢石仏。
五百らかん・バッハの会 代表者 梶岡 秀
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