LA Nebuta Hayashi Hozonkai

ロサンゼルスに初めて、青森市のねぶたが登場したのは、2007年夏のリトルとうきょうで行われた二世ウィークだった。その後、二世ウィークでは、毎年、ねぶたが登場し、すっかり、二世ウィークの重要な一部になっている。

2015年11月には、ハリウッド・クリスマス・パレードへのねぶた参加が実現し、今年で、連続3回の出場をする。

ロサンゼルスに青森ねぶたが定着してLAねぶたと呼ばれるようになって10年、ロサンゼルス地元で、ねぶた活動を支えているのは、ロサンゼルスねぶた囃子保存会(豊島年昭会長)だが、ねぶたが青森からロサンゼルスに渡るには、ねぶた発祥地・青森からの熱い思いと、時の運があった。

ハリウッド・クリスマス・パレード・青森ねぶた出陣実行委員会を自ら作った佐々木聰さん(Cultural News Photo)

ハリウッド・クリスマス・パレード・青森ねぶた出陣実行委員会を自ら作った佐々木聰さん(Cultural News Photo)

ハリウッド・クリスマス・パレード・青森ねぶた出陣実行委員会を自ら作り上げた青森市の佐々木聰さんに聞いてみた。(カルチュラルニュース編集長、東 繁春)

青森ねぶたは、毎年270万人が集まる日本一の祭りになっています。2004年ころから、まだ、アメリカ本土で青森ねぶたを披露したことがないので、一番有名なハリウッドでねぶたを運行させたい、と話をしていました。

ちょうど、そのころ、キリンビールの青森支店長だった塚原さんがロサンゼルス支店に転勤し、まず、リトルとうきょうの二世ウィークで青森ねぶたを運行する話が進み、2007年8月に実現しました。このときは、青森市長以下、約100人の青森市民がロサンゼルスに来て、囃子方やハネト・ダンサーを演じました。このときのイベントは「青森ねぶたinロサンゼルス」でした。

そして次の年の二世ウィークでは、ロサンゼルスねぶた囃子保存会ができて囃子方を担当、ハネト・ダンサーも地元のボランティアで集まり、文字道理のLAねぶたになりました。

2015年8月のLAねぶたに来ていたとき、豊島さんから、11月のハリウッド・クリスマス・パレードへの参加が内定をしたと聞いて、たいへんお驚きました。この話を聞いた翌日は、ロサンゼルスの観光予定をキャンセルして、すぐ、ハリウッドへ行って、信号機の高さなど、ねぶた運行に必要な情報を調べました。10月にはLAねぶたから、ハリウッド・パレードを成功させるために協力してほしいと言われ、青森市のわたしたちのねぶたグループから30人が参加しました。

2015年以来、毎回、ハリウッド・パレードに参加して扇子持係りをさせていただいています。今日、ロサンゼルスねぶた囃子保存会の練習を聞かせてもらいましたが、昨年に比べて10倍はうまくなっています。