カルチュラル・ニュース2012年7月号

東北被災地では、訪問者を歓迎=カルチュラル・ニュース三陸体験ツアー報告 (P1, 4, 5, 6)

三陸沿岸の津波被害の跡地(マーカー)を訪ねる旅

いろいろな方がロサンゼルスから東北の被災地を訪れています。今年5月にロサンゼルスに住む日本人カトウ・ミチコさんは「ふんばろう東日本支援プロジェクト」と連絡を取って、三陸被災地を回りました。

カルチュラル・ニュースの東編集長は、これまで被災地に行ったことのない人に、被災地を回る小型バス旅行への参加を呼びかけたところ、ロサンゼルスから5人、東京から4人(うち2人は、これまで被災地を訪れている)が集まりました。カルチュラル・ニュースの体験ツアーは、宮城県塩釜から、松島、石巻、女川、雄勝、南三陸長、本吉、気仙沼、陸前高田、大船渡の三陸沿岸を、6月7日から11日まで、4泊5日で回りました。

三陸沿岸の現地では、どこでも、訪問者を歓迎してくれました。三陸沿岸の被災地のニュースが日本の新聞やテレビで少なくなり、地元の人たちは、三陸が東北が、全国から忘れられていくのではないかと、心配しているのです。ロサンゼルスからの初めての参加者は、ただ被災地に行くことは、地元のひとにとっては、迷惑になるのでは、という心配をしていましたが、行ってみると歓迎され、来てよかったという体験をしました。

5月に被災地を訪れたミチコさんは、被災地ツアーから戻った東編集長に「被災地の孤児をロサンゼルスに招きたいが、どう、思うか」と質問しました。東編集長の答えは「被災地では、津波が起こる前から人口減少が続いているので、孤児をロサンゼルスに招待する前に、ロサンゼルスから人が現地に行って、孤児を支援するプログラムを実行したほうがいい」というものでした。

三陸沿岸の津波被害の跡地(マーカー)=写真説明 (P4上から)

石巻市門脇小学校の校舎跡=津波と同時に火災が発生し、校舎が焼かれた。生徒は全員、裏山に避難した。

石巻市雄勝地区に残った大型観光バス=津波に流された観光バスは、建物の屋上に着地していたが、津波一周年を記念に地面に下ろされた。バスは、南三陸観光バス会社の所有。右が、バス会社の高橋武彦社長。

石巻市河北地区、大川小学校の校舎の側に作られた慰霊碑=生徒78人、先生10人が亡くなった。

気仙沼市階上(はしかみ)地区の地福寺の境内に作られた「祈りの広場」慰霊碑=檀家さん150人が亡くなった。

地福寺の住職、片山秀光さん=津波にやられた波路上(はじがみ)地区を森にするプロジェクトを提唱している。

(P5上から)南三陸町の防災センターの跡地=多くの町役場の職員が亡くなった場所でもある。

気仙沼市鹿折(ししおり)地区に残された330トンの鋼鉄製の漁船=震災を記念するために保存すべきか、議論。

陸前高田市の矢作(やはぎ)地区にある湯治場「鈴木旅館」の主、鈴木繁治さん=ボランティアの宿舎になっている.。

(P5、左下の記事)陸前高田市にある「あすなろホーム」を訪れグループホームの建設資金を寄付する(写真左から)サンディエゴ日系緊急ネットワークの葛西祥子(さかい・さちこ)さん、大渡浩平さん、あすなろホームを運営する燦々会理事長の高井文子さん、あすなろホーム施設長の西條一恵さん。

(P5、右上の写真)6月21日に大船渡市の仮設商店街「屋台村」を訪れたロサンゼルスからの学生グループ(テラサキ・ファミリー財団主催)。撮影は、大船渡市在住の写真家、佐藤尚義(ひさよし)さん。

福島県郡山市の少年少女合唱団が、二世ウィークに合わせて、ロサンゼルスで「ありがとう」コンサートを開く (P1, 2) 福島県郡山市は、福島原発事故では、避難区域には指定されませんでしたが、放射能の影響を恐れて1000人以上の小中学生が郡山市内から出て行きました。FCT郡山少年少女合唱団は、1975年の発足で、現在のメンバーは5歳から18歳まで、約30人です。原発事故後も、メンバーはほとんど、郡山に残り、歌を歌い続けてきました。福島中央テレビ(FCT)の後援を受けていることから、現在の正式名称は「FCT郡山少年少女合唱団」といいます。

ロサンゼルスの日本人のコーラス団体とリトル東京のキリスト教会の斡旋で、8月11日にリトル東京で「ありがとう」コンサートを行います。ロサンゼルスに来るメンバーは約20人で、指揮者が2人、ピアニスト1人も来ます。

8月11日のコンサートは、二世ウィークのイベントが行われるのに合わせて開かれます。会場はセンテナリー・ユナイテッド・メソジスト教会で、開演時間は午後2時です。入場は無料。合唱団は、8月10日にロサンゼルスに到着、その日にロサンゼルス市長を訪問、12日は、二世ウィークパレードに参加します。

石巻で津波を経験した歌手のクミコさんが、ロサンゼルスのコンサートに参加します (P1, 6) 東京で歌手をしているクミコさん(57歳)は、昨年3月11日は、宮城県石巻市でコンサートを開くためにリハーサルを終えたところで、津波に遭遇しました。被災直後には、もう、歌は歌えないと、いう精神状態にも、なりました。しかし、その後、被災者のために歌うことが、自分の仕事と思えるようになり、今年2月5日には、石巻市中央公民館で、新曲「きっとツナガル」の録音を地元のひと200人といっしょに行いました。伴奏には、津波を受けたのちに再生されたピアノが使われました。P1の写真は、再生ピアノを真ん中にして、石巻市民といっしょに歌うクミコさんです。

このクミコさんが、7月24日にトーレンスの教会を会場に借りて行われる「クミコ-ヒロキ・コンサート=つながる We are not alone」に出演します。

東日本大震災の報道番組に英語字幕が付けられた(P2) 日本のテレビ番組に外国語の字幕をつけて、開発途上国に無償提供している、放送番組国際交流センター(JAMCO)という団体が東京にあります。岩手放送が制作した「幾歳経るとも要心あれ」と「釜石の奇跡」、東日本放送(仙台)が制作した「津波を撮ったカメラマン」の3本の番組にJAMCOによって英語字幕やキャプションが付けられました。

東日本放送制作「津波を撮ったカメラマン-生と死を見つめた49日間」=気仙沼市で生まれ育ち、気仙沼に常駐していた東日本放送の千葉賢一カメラマンが、3月11日の津波を気仙沼市内で撮影しました。2012年4月にアメリカで行われた広告・映像の「ニューヨーク・フェスティバル」で「国連賞」を受けました。DVDになっていますが、アメリカでの販売は決まっていません。東日本放送では、アメリカでの配給会社をさがしています。

岩手放送制作「釜石の奇跡」=釜石市北部の鵜住居(うのすまい)地区は津波により壊滅的な被害を受け、多くの死者行方不明が出ました。しかし、そのなかで、鵜住居小学校と釜石東中学校の全生徒たちを含む約600人は、高台に避難することができ「釜石の奇跡」と呼ばれるようになりました。しかし、この奇跡は偶然に起こったものではなく、津波の前に行われてきた避難訓練が役にたったことを紹介しています。(アメリカでの放送と配給の予定は、現在のところありません)

岩手放送制作「幾歳経るとも要心あれ」=岩手放送の木下義則カメラマンは、岩手放送の東部支社のある釜石市で津波に遭遇、自ら被災者になりながら映像を取り続けました。岩手県北部の宮古市姉吉(あねよし)地区には、昭和三陸地震(1933年=昭和8年)のときに建てられた「ここより下に家を建てるな」の石碑があり、姉吉では、その教訓を守ったために犠牲者を出さずにすんだのでした。(アメリカでの放送と配給の予定は、現在のところありません)

石巻の中学生が熊本県の女子校吹奏部に合流し、アイオワ州で開かれたグレン・ミラー生誕フェスティバルで演奏 (P6) アイオワ州南西部にある小さな町、クラリンダでは、約40年前から「グレン・ミレー生誕記念フェスティバル」が行われており、20年前からは、日本の高校吹奏楽団も参加するようになりました。そのつながりから、クラリンダから東北被災地に義捐金が送られました。

今年6月に行われた第37回フェスティバルでは、2年おきに参加している熊本県の玉名女子校吹奏学部60人といっしょに、クラリンダからの義捐金で買われたトランペットを受け取った宮城県石巻市の中学3年生、杉本真菜(まな)さんが、参加して、演奏しました。

杉本さんの家は、牡鹿半島の南端にある石巻市鮎川浜にありました。津波の被害は、自宅は残ったものの一階まで浸水し、住めなくなりました。真菜さんは現在、親戚のある石巻市の中心部に引越し、石巻市立蛇田(へびた)中学の吹奏学部でトランペットを吹いています。真菜さんと同行のお母さんのクラリンダ行きは、グレン・ミラー生誕地協会日本支部(支部長=青木秀臣さん)の斡旋で実現しました。

日本舞踊教室がトーレンスにできる(P1, 2, 3) ロサンゼルスで40年にわたって日本舞踊を教えている坂東三津拡(ばんどう・みつひろ)師匠の3人の弟子がトーレンスで「舞の会」を設立、舞台開きが6月24日に行われた。「舞の会」を作ったのは、坂東拡三也(ひろみや=横田えつこ)、坂東弘拡(こうひろ=大久保ひろこ)、坂東拡鈴(ひろすず=アイリーン・ウィルビー)の3人で、いずれも、これまで、三津拡師匠の教室で、踊りを教えていたベテランで、この度、独立をして自前の教室を持つことになった。(P1に3人のカラー写真。P2に舞台開きのようすの記事、P3に教室の住所が掲載されています)

ニベイ財団ジャパン・スタディー・クラブの講演記録 (6月19日)着物レクチャー&デモンストレーション (P6, 7)   着物コンサルタント芥川婦身さんによるレクチャーとLA着物クラブメンバーによるファッション・ショー。