2012年6月/被災地で考えたこと(4)市街地にのこされた大型鉄製漁船は「記念碑」にすべきか

Kesennuma 18th Kyotoku maru

気仙沼市の市街地にのこされた全長60メートルの第18共徳丸 (Cultural News Photo)

 

(古屋さんは、6月7日から10日まで、カルチュラル・ニュース三陸体験ツアーに参加しました。)

 

By古屋嘉祥 (ふるや・かしょう) カルチュラル・ニュース日本支局代表 (横浜から)

 

2012年6月10日(日)津波で壊滅的な被害を受けた鹿折(ししおり)地区を訪ねました。当日は雨でしたが、鹿折地区は、大震災の津波で甚大なる被害が発生した気仙沼市の中心部でした。

そこには、港から北約800メートルまで流された巻き網漁船「第18共徳丸」(全長約60メートル、330トン)があった。

なんとこの船は福島県いわき市の漁業のもので、震災時はたまたま定期検査で気仙沼港に寄港していたものです。

気仙沼市役所によると、市内に打ち上げられた100総トン以上の大型船は17隻。共徳丸以外は海に戻されたり、解体された。移動には莫大な費用がかかるため、共徳丸も解体予定だったが、市としては6月、津波被害を象徴する船として残したいと所有会社に申し出たうえで管理下に置きました。

国に支援を要請し、市の復興計画に船の保存を含む公園整備プロジェクトに組み込んだ。ところが、「船が悪いわけではないが、あの船を見ると悔しさがこみ上げる」といった住民の声が相次いだ。

高台から見ていた多くの住民は,船が自宅を破壊していく様子を目撃していたので、その惨劇を思い出したくない、という感情があり強く反発している。

あの広島の原爆ドームを残す残さないで大激論があった。しかも世界遺産に登録することについても、アメリカは賛成しませんでした。原爆ドームを一例に挙げて、この共徳丸を「だから残せ」という理屈は合わないかも知れません。

しかし「後世に残す」ことで子孫に津波の恐ろしさを知らせることも大切なことです。