Urasenke Hatsudate Shiki

リトル・トーキョーのホテルで行われた裏千家ロサンゼルス協会の2016年はつだてしき (Cultural News Photo)

 

2016年1月10日(日)

今日は、リトル・トーキョーで2つのイベントを取材しました。お昼は、ダブルツリー・ヒルトン・ホテルで行われた茶道裏千家の新年イベント、そして、夕方は、ダブルツリーからわずか2ブロックの場所にある日米文化会館のアラタニ劇場で行われたベートーベンの第九交響曲の演奏会です。

 

<海外に出て日本文化に目覚める日本人>

茶道裏千家淡交会ロサンゼルス協会は、1951年に発足しています。この年は、サンサンフランシスコで、日本と連合国との間での戦争終結の状条約が結ばれた年で、裏千家の家元が、茶道を通して日本と世界の平和を確かなものにしようという目的でロサンゼルスに裏千家の支部ができたのでした。

1月10日の集まりは、はつだてしき(初点式)という名称で、裏千家の会員約100人が集まっていました。ロサンゼルスの裏千家は、名誉会長が仏教研究者のグレーン・ウエッブ博士で、会長は大手日本食料品貿易会社・共同貿易の会長、金井紀年さん(92歳)です。会員は大半が女性です。

会員に、お茶を始めた理由を聞いてみると、20代の女性は、アメリカに来て日本文化に関心を持つようになった、言っていました。着物を着ることをはじめ、茶道の稽古を通じて、日本の伝統を身につけることができることに気がついたのでした。60代の女性も、アメリカで長く生活してきたから、日本文化を知りたいと思うようになったと言っていました。

はつだてしきは、午前11時30分からホテルの宴会場で始まりました。宴会場の中に、畳のステージを作って、それを茶室に見立て、お客を招いて、お茶でもてなすという嗜好です。ホスト側は、リトル・トーキョーのある曹洞宗のお寺、禅宗寺の茶道部メンバーが担当しましたが、このメンバーは、全員アメリカ人です。

ゲスト側は、ロサンゼルス総領事・堀之内秀久氏の夫人で、オランダ人の堀之内サビーンさん、オレンジ・カウンティーにある裏千家のグループの代表者らでした。

はつだてしきのあとは、昼食が出され、そのあと、日本でもめったにナマでは聞くことができない邦楽・大和楽の演奏があり、終了しました。

Los Angeles Daiku

リトル・トーキョー、アラタニ劇場で行われたロサンゼルス第九コンサート(Cultural News Photo)

<日本人はなぜ、「第九」が好きか」

裏千家の新年イベントが終わると、3分ほど、歩いて、アラタニ劇場に向かいました。開演は午後4時ですが、午後3時30分には、劇場の前にたくさんのひとが集まっていました。

ロサンゼルスのベートーベンの第九交響曲のコンサートは、2009年に発足した団体、ロサンゼルス第九が主催者で、2012年から新年コンサートを始め、今回で5回目になっています。2016年コンサートは、合唱メンバーが約百人、オーケストラが65人という本格的な演奏会でした。みごとな演奏でした。

年末年始に「第九」を歌うというのは、アメリカにも、ドイツにもない、日本で始まったイベントです。わたしは、これには、日本文化が大きく影響しているのではないかと、考えています。というのは、日本の雅楽は、貴族と楽士のアマ・プロ楽団だったからです。西洋の音楽の歴史は、演奏をする側(楽士)と聞く側(貴族)がはっきり分かれてたのですが、日本には、貴族が楽器を演奏して楽しむという習慣があったのです。

年末年始という区切りの時期に、音楽を聞くのではなく、演奏に参加するというのは、現代の日本人に、平安時代の貴族のDNAが残っているようにわたしには思えるのです。

Kamei Toshiaki Jeffrey Bernstein

「第九」を全国イベントに育てた元鳴門市長の亀井俊明さん(左)とロサンゼルス第九の指揮者ジェフリー・バーンスタインさん (Cultural News Photo)

<「第九」を全国イベントに育てた市長>

アラタニ劇場の第九コンサートで、ロサンゼルス第九のまとめ役、棚野泰全(たなの・やすまさ)さんから、元鳴門市長で、全日本「第九を歌う会」連合会の名誉会長、亀井俊明さんを紹介していただきました。

2018年が、徳島県鳴門市で、日本で始めて「第九」が演奏され100年になるので、亀井さんは、100周年イベントの準備のために、各地を訪れているのでした。

亀井さんは鳴門市で生まれ、徳島大学土木工学部を卒業し、祖父が創立した土木建設会社を継ぎます。高校、徳島大学でコーラス部に参加、社会人になっても、鳴門でコーラスを続けていたことから、1982年の鳴門市文化会館のこけら落としに「第九」を演奏するプロジェクトを任されます。

82年の第九公演は、2年間の準備で成功しました。最初の1年目は、楽団やコーラス指導者を確保する仕事で、2年目がコーラスの練習でした。鳴門市と近隣のひとびとで「第九」を演奏することを目指しました。

その後、鳴門の「第九」は、1400席の文化会館に、全国からの参加で約600人のコーラスという全国規模のイベントに発展行くのですが、そのまとめ役をしていたのが、亀井俊明さんでした。

そしてこの亀井さんは、1999年から2007年まで、2期、鳴門市長を務めるのですが、この時に、亀井さんがしたことが実にユニークでした。全国イベントに発展した鳴門の「第九」は鳴門市から年間1300万円の助成を受けていたのですが、亀井さんは、市長になると、市からの助成金を全廃し、コーラス・メンバーの参加費と、「第九」のチケットの売り上げだけで、「第九」コンサートが運営できるように変えてしましったのです。「第九」を進めて来たひとが、助成金をなくすると言い出したので、反対するひとがいませんでした。

亀井俊明さんは、市長になる前に、徳島県の県会議員も務めていますが、72歳になった今、土木建築会社の経営は娘婿に任せ、「第九」を鳴門で継続することに打ち込んでいるのです。