takasugi Shinsaku & Nomura Motoni

幕末の志士として人気の高い高杉晋作(1839~67年)と幕末の女流歌人で勤皇家の野村望東尼(のむらもとに)についてお話ししましょう。

野村望東尼は、1806年に現在の福岡市中央区で武家の娘として生まれた。   17歳の頃に20歳年上の福岡藩士に嫁ぐが半年ほどで離縁し、生家に戻り和歌・書道などに加えて尊王思想を学んだ。

24歳で、福岡藩士・野村新三郎と再婚。 野村の連れ子との関係は良好だった。  夫が隠居し、家督を連れ子に継がせたので望東尼は福岡市にあった自分の山荘(平尾山荘)に40歳で移り住んだ。 54歳の時、夫が亡くなったので、剃髪(ていはつ)して出家する。

平尾山荘に勤皇の士を度々かくまったり、密会の場所を提供した、  その中に高杉晋作もいた。

そんなこともあり、望東尼は姫島(現・福岡県糸島市志摩姫島)へ流刑となった。

1865年10月に姫島に流刑となった時、翌年、高杉晋作の指揮により福岡脱藩志士たちが野村望東尼を姫島から脱出の手引きをした。

その後、病に倒れた晋作の最後を看取ることになり、その時晋作が「おもしろき事なき世におもしろく」と詠むと、望東尼が「住みなすものは心なりけり」と詠んだ。

薩長連合軍の戦勝祈願のために行った断食がたたり、体調を崩し、慶応3年(1867年)11月、現在の山口県防府市)で望東尼は死去(62歳)。

辞世の句は「雲水の ながれまとひて花の穂の 初雪とわれふりて消ゆなり」

1959年、山口県下関生まれの亀田真砂子(かめだ・まさこ)さんは、2012年からブログや交流サイト(SNS)で高杉晋作の魅力を”語り部“として発信しています。  また、彼女は史跡ツアー、講演など幅広く活動しておられます。

その亀田さんが、「面白きこともなき 世を面白く」 の下の句を次のように読んでいます。

“面倒な日々 世に棲(す)みてこそ”

「語ろう会」の皆さんも、どうぞ下の句作りにチャレンジしてみてください。     (K. Furuya)

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