東日本大震災 – 「今、私たちにできること」

土田三郎 (2011年11月吉日) ロサンゼルス在住  Tsuchida Translation Consultant

1000年に一度と言われている3月11日の東日本大地震災以降、「今、私たちにできること」をどのように実践するかが、山形県酒田市で育った私にとっても、近隣県への連帯意識の中で一つの課題となっている。

この南カリフォルニアでもいろいろなイベントが実施されるにつけて東日本の被災地への義援金要請が何度も行われてきている。私の関係する合唱団体の演奏会でも、その都度に義援金をお願いしているが、献金する立場からすれば毎度のことでいささか食傷気味である。そして、義援金に対する巨額の手数料差し引きの話も巷に流布する。

そんな折に、日本の友人から被災地支援プロジェクトへの協力依頼があった。仙台市の若林区にある被災された出版印刷会社の社員たちが、自分たちの命を掛けた被災体験を1冊の本にまとめ、これを電子書籍の英語版にして販売し、その収益金を地元に義援金として贈るとの趣旨のプロジェクトがある。

これに対するボタンティア英訳の協力依頼があった。当の出版社も繰り返す地震と津波で大きな被害を受けている中で、ともするとトラウマに陥りやすい社員たちの貴重な体験を無にしたくないとの熱い思いが、体験記執筆計画に駆り立てたという。

この話は、私のボランティアにピッタリのプロジェクトであると直感した。カリフォルニア住みながら被災者に「今、私たちにできること」を、翻訳のボランティアで直接に協力することができる。これは関係者の皆さんに感謝である。

早速に、他の翻訳者や編集者にもボランティアの協力をお願いし、約1ケ月で英訳版を仕上げさせて頂いた。英語圏の読者に、チョットでも東日本の被災状況を理解して頂ければ幸いである。

この本は、現在少しずつ売上が計上されているとのことであるが、少しでも長く被災地に貢献できればこれも幸いである。本のタイトルはA Time of DisasterThe Great East Japan Earthquake and Tsunamiで、Amazonn.com から Kindle Edition(販売価格$9.99)で発売されている。

しかし、「百聞は一見にしかず」とあるように、どうしても現地に行きたいとの思いが残り、ようやく10月中旬には、他の用事と抱き合わせて被災地へ伺う計画が実現できることになった。前述の仙台市の出版印刷会社を訪問した後に、岩手県の陸前高田市と釜石市の隣の大槌町の二ケ所のボランティアに計4日間の行程で参加することができた。

宮城県や福島県、茨城県でもボランティア受け入れ団体が多く活動しているが、ほとんどが事前に各団体に所属してから、団体毎にバスで現地に赴き行動する方式である。私が調べた範囲では、宮城県の二ケ所と岩手県の遠野市が個人の申し込みを受け付けている。

福島県は、原発による汚染問題が発生しているために、現地で個人の参加を受け入れているのはごく一部であり、殆どの場所で事前登録が必要となっている。そして、出発地の各都市でボランティア団体が事前に結成されている。

東日本の沿岸地帯は津波で壊滅状態となり、ボランティアを受け入れる機能さえも殆ど喪失してしまっている。岩手県の場合は、津波に影響を受けない内陸部に位置し、柳田國男の民話「遠野物語」で知られる遠野市が遠隔中継基地として機能して、限られた沿岸部を支援している。

ボランティア機能の中心は「遠野市社会福祉協議会、住所028-0541岩手県松崎町白岩字薬研渕1ー3、遠野総合福祉センター内、電話:0198 -62-8459」である。ここで「NPO法人遠野まごころネット」(E-mail; tonomagokoro@gmail.com HP: http://tonomagokoro.net 事務局電話:0198-62-1001)を運営し、ボランティア活動を支援している。

そのキーワードは、「絆をありがとう」である。あちこちでこの言葉が目に入る。

Higashi Nippon Disaster Radio Taiso in Tono

ボランティアの出発前のラジオ体操

 

 

HIgashi Nippon Disaster Speeping in one big floor

雑魚寝の体育館

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幸いにこの遠野市の中継基地では個人の参加が自由であり、その基地で毎日ボランティアのグループが必要に応じて臨機応変に結成されている。指揮系統が定まっており、組織的にしっかりしている印象だ。そして、中継基地で結成されたグループ別に分かれて、バスやマイクロバス等で1時間半程かけて目的地となる陸前高田市、釜石市、大槌町、その他の各沿岸地帯の各被災地へボランティア活動に赴くことになる。

その活動内容も復興の進捗状況によって日毎に変動する。毎朝ラジオ体操を終えてから、各分担する被災地での活動内容がボランティアに提示され、その日の希望者を募り、自身もボランティアであるリーダーたちが各活動を細かに指揮している。

宿泊場所は、上の写真にあるように、臨時に畳を敷いた体育館の大部屋で、外に簡易トイレやシャワーを備える。簡単なキッチンの機能もある。雑魚寝の体育館の夜は、あちこちでいびきの協奏曲となり安眠からは遠くなる状態であるが、不思議と昼の活動に大きな影響は出ない。同じ目的のボランティアで、なにか清々しい気持ちである。皆で共同作業ができるからであろう。

ボランティアはすべてが自己完結、自己責任であることが原則となる。食事は3食とも自前で近くのスパーで調達するが、希望者に昼食の弁当はまとめて注文してくれる。1年有効で500円程のボランティア保険も必須であるが、これは全国のどの福祉協議会からでも購入できる。

釘を踏みやすい現場のために、靴には鉄板の入っているインソールの購入が義務付けられるがこれも中継基地から徒歩圏内に量販店があり、千円以内で購入できる。寝袋も必携である。現地で借りることができるのは毛布1枚のみである。今後の時間の経過により、ボランティアの活動内容は、瓦礫撤去や開墾、整地作業から、コミュニテイづくりの支援や被災者への心のケアの支援に重点が移行していくと思われる。

私が参加した時期の遠野市の中継基地には、総勢180名程のボランティアが全国から集まってきていた。構成は大学生が3割、社会人で各県の福祉施設から派遣されたグループや各企業が有給休暇枠の取得を認めて活動するグループが4割程で、そして残りが退職者グループと大別される。

男女の比率では7割程が男性である。中には、数ケ所の被災地で活動して来ている人たちがいる。誰に指示されたわけでもなく、自分の意志で素直な心で活動している人たちのために、話に奢りはなく、明るく謙虚である。日本ではこのようなボランティア精神に溢れた人たちが、95年1月17日に発生した神戸の震災以降に著しく増えたとのこと。特に若い人たちの礼儀正しい姿勢や行動を現地でみていると、頑張っているなあ、と実感するし、頼もしいかぎりである。

しかし、参加した大学生から聞いた話では、同年代の若者たちのボランティアへの関心は今一つであり、自分たちはごく少数派に属するとのこと。不況の中で、自分が生きることに必死のようである。

左の写真は10月12日の陸前高田の被災地の一つでの重機使用の掘り起こし後の開墾作業である。この日は晴天であった。森や林に四方を囲まれている平地で、海が殆ど見えない構図である。写真の右側の低い地点の向こうが海である。津波は低い林を乗り越えるように突然に襲ってきたことになる。だから気がついた時には津波が目前に迫ってきて、逃げる余裕などあまりなかったに違いない。ここでも多くのご遺体が確認された。

ここ陸前高田でのボランティアの作業は、1ケ月程前までは、津波で壊滅したサンマ工場や家屋の瓦礫とともに、腐乱したサンマや機材が散乱して悪臭と戦いながらの厳しい瓦礫撤去のボランティア活動であったとのこと。私たちが訪ねた時は、後かたづけが大分進んで悪臭も無くなり、林に囲まれた工場跡地や農地は荒地と化して静寂を保っていた。

この現場では、重機使用後に、重機では処理できない大量の石を取り除いて開墾する作業を60人程で連日続けている。無理をすると腰痛になりかねない重労働だからマイペースの作業とするが、それでも皆と心を一つにした共同作業だから、ついつい頑張ってしまう。

結果的に背中が痛くなり、何度も腰を伸ばすことになる。少年時代に田植えを手伝ったことを懐かしく思い出した。こうした重労働から解放された後は、疲労感もあるが爽快感もある。夜になると体育館での雑魚寝で、イビキの協奏曲があちこちで響き渡るのは、肉体労働の後だから止むを得ないことだと実感する。

Higashi Nippon Disaster Otsuchi Housing Base

家屋の台地のみが残された場所

もう一つの釜石市の隣にある大槌町の現場に行くために途中で海の側を通るが、そこで目に入ってくる光景は、津波にさらわれて家屋の台地のみが残された場所が広く瓦礫とともに散在しているが、その一方では、津波に大破されながらも辛うじて取り残されたビルの壁面に、ご遺体が発見されたことを示す直径2メートルほどの大きな○の中にX(バツ)印が赤ペンキで書かれていることだ。こうした赤い印が書かれたビルの壁面が、瓦礫の山の間にあちこちに散在して痛ましさを禁じえない光景である。

 

Higashi Nippon Disaster Otsuchi Cemetary

新しい墓石がならんでいる墓

大槌町の現場では、つい最近完成した多くの仮設住宅の近くに設営する共同公園と農地の開墾作業である。これを15名単位で毎日少しずつシャベルや鍬などを使いながら開墾する。芦を切り、芦の根を掘り起こす。これも重労働だが共同作業のために進捗は以外と速い。

近くの仮設住宅のシニアの人たちが笑顔で挨拶してくれるから、こちらも大きな声と笑顔で挨拶を返す。何かしら心に迫るものが湧いてくる。「架設住宅を見にきてくださいよ」とのご招待の声もあったが、団体行動だから勝手に出向くことも叶わない。そして、さらに高台の墓地を見ると多数の新しい墓石が並んでいる。シニアの人たちはそこのお墓にお参りの途中らしい。合掌。

Higashi Nippon Disaster Otsuchi Land Cleaning

大槌町で荒地の整地

被災地の厳しい環境の中で、草の根の運動となるボランティア活動のもつ役割はとても大きいと思われる。今、現地で必要なことは、被災者に普通の生活ができるようにする心のこもった支援である。そしてこの活動はボランティアだからこそ、被災者の持つ切迫した細かなニーズに対応できるものであろう。被災地でのボランティア活動は、今後も数年にわたり必要不可欠となると予測されている。皆さんには、お時間を頂いて是非とも被災地にボ

Higashi Nippon Disaster Otsuchi End of Work

畑の一部が完成。背後は介護施設

ランティアとして足を運んでいただきたいと切実に思う。現地で活動していると、何をどうすべきかが分かってくる。自分はどうすべきかが見えてくる。

被災地の厳しい状況が長く続く一つの要因は、日本の政治の貧困である。緊急事態で大至急の対応が重要となるこの時期に、政治家はコップの中で権力争いをしている。このため被災地への長期復興プランの青写真を示すことができず、指導力を発揮できていない。この緊急の時期に「衆議院の解散だ」などと騒いでいる。海外から観ていると、まるで子供の喧嘩と同じような三流政治である。見苦しくて、恥ずかしい限りである。

海外ではマスメデアを通して、緊急時における被災者たちの冷静で理路整然とした行動が注目された。このような場合に、米国ではよくある略奪がどうして発生しないのか。背後に日本人の美しい倫理観が背後にあるとして海外で注目されて、賞賛を浴びていることは記憶に新しい。

しかしながら日本の政治家たちは、こうした自制心を持つ人たちの住む世界とは別の世界の住民のようである。正道を忘れて権力闘争を優先するため、復興計画が遅々として進まない。想定外の福島の原発事故が追い打ちをかけている事情もあるが、事をなすための一番大切な「勢い」が途切れている。

情報の透性にも欠けている。震災から8ケ月近く経過しているのにこの有様だ。他を思いやる利他の心が本当にあるのか、と疑問にも思う。こうした政治家を選んだのは有権者である国民であるが、国民に責任を押し付けるだけでは問題は解決しない。この重要な時期に首相が半年で簡単に交代する制度は、海外からみても極めて異常だ。

日本は首相の権限を強化し、首相を国民投票で選ぶような政治のシステムを大胆に変える時期にあるように思う。これには憲法改正を伴うことになる。しかし、首相の短期交代から生じる海外の日本への信頼感は急低下しており、その悪影響は経済的にも膨大である。その政治的な損失は計り知れない。海外に住んでいると、こうした日本の姿を強く意識するものだ。

さて、政治が指導力を発揮していない影響もあり、被災地でのボランティアへのニーズは切実である。遠野市社会福祉協議会の中継基地においても実情は同じで、「百聞は一見にしかず」である。雑魚寝の体育館でボランティア担当者たちが、大きな声で訴えていたのが印象的である。

「皆さん、お疲れ様です。そして、今日もありがとうございます。このボランティア活動は、さらに多くの皆さんの支援が必要となります。そして、数年におよぶ長期戦となります。もっと、もっと多くの人たちに現場に来ていただきたいと思います!皆さんがそれぞれの地域に戻られましたら、周りの人たちに、被災地の現場に足を運んでいただき、ご協力を頂くように声を掛けてくだるようにお願いします!」

Higashi Nippon Disaster View from Tono

車窓より遠野市近郊の長閑な田園風景(10月14日)

遠野市社会福祉協議会で発行している「ボランティアへのガイドライン」では、次のようにボランティアを指導している。このガイドラインの内容を吟味して読めば、これは単なるボランティアへの指針というよりも、人と人のコミュニケーションのあり方を、深層心理を踏まえて具体的に説明している親切なガイドラインである。今後の参考になる内容である。

「控えたほうが良いこと」

①被災した人を弱者として「~してあげる」「かわいそうに」といった態度や話し方をしないでください。相手の自尊心を傷つけることになります。

②「頑張って」「頑張ろう」と安易に励ますことも、できるだけ控えましょう。どのように頑張ればいいのか、良くわからないことが多いからです。

③被災者の体験を詳細に聞くことも控えましょう。また、被災者が体験していることや心情を憶測で決めつけてしまうことのないように注意しましょう。殆どのことは当事者しかわからないのが実情です。

④被災者が体験を話している時に、話題を変えないようにしましょう。

⑤「あなたの気持がわかります」と言うことも控えましょう。また、相手が聞いていないのに、あなた自身の体験を話さないようにしましょう。今はその人の体験や感情が重要なのです。

⑥「時間が癒してくれますよ」「何か他のことを考えるようにしたら」「神のおぼしめしです」というような言葉は、例え善意から出た言葉であったとしても、悲しみが強い時には助けにならず、余計に傷つけることがあります。

⑦求められていないときに、アドバイスをしないでください。

⑧守りきれない手助けを約束しないでください。また、不確かな情報は提供しないでください。⑨一定期間が過ぎれば悲しみを克服できると考えないでください。極限の悲しみは、通常に人    が予想するよりもずっと長く続くものです。

「気をつけて欲しいこと」

①  被災者の話を聞く時は、その方が何を望み、何を伝えたいのかに焦点をあて、今できる支援から考えていきましょう。例えば、その人に必要なものを調達すること、安否確認を手伝うこと、子供の面倒をみること、何らかの手続きに一緒に付き添うこと、物を修理すること、話を真剣に聴くこと等が心のケアに繋がります。

②支援活動に参加した自分の思いと、現地のニーズとは違うことがあります。ここは現地のニーズに合わせることが求められます。

③  被災者の多くは、心に踏み込まれることに抵抗があります。その人が話したくないときはそっと見守りましょう。自分が短期間しか支援できないことを認識しましょう。

④感情を人に見せることを好まない人や一人の時しか泣けない人がおります。泣いていないからその人が悲しんでいないとは思わないでください。

⑤「これからどんな風に生きていけば・・・」と言われるかも知れません。これは貴方にその答を求めているわけではありません。ただ側にいて話を聞くことが大きな助けになります。

⑥被災者のプライベートな話を聴くことがあるかも知れません。内容によって、他の被災者や支援者と共有した方が良い場合とプライバシーを保護すべき場合と明確に分けて扱うことが求められます。どんな場合でも信頼関係を築くことが支援の第一歩です。

⑦時間の経過で怒りや不満の感情を廻りにぶつけることがあります。たとえ支援者に対しての言動であっても、支援者を責めているのではありません。悲しみや行き場のないつらさが、怒りとなっているのです。これは専門家でも難しいことですが、できるだけ非難や否定をせずに、その感情を受けてあげるようにしてください。その後で、実際に困っていることを聴いてください。

⑧一人きりになりやすい被災者(シニアや子供)にはできるだけ声をかけてあげましょう。

⑨子供は元気そうにしていても、自分の気持ちを親や周囲の人に話せずにいる場合があります。できるだけ日常の生活に近い安全な状態になるように配慮し、注意深く見守りましょう。

⑩子供にはわかりやすい言葉で話してください。また、大人ばかりで話さず、子供が話せるような状況を創ってください。多くを話す必要はありませんが、子供たちのニーズを探ることも大切です。

⑪どんな現実であっても、子どもたちには決して嘘をつかないでください。お話しするときは子どもの年齢に合わせたことばをつかい、必要以上に怖がらせないようにしましょう。

⑫親が安心して休める場を提供し、親の不安を和らげることが、子どもたちの支援となります。

⑬支援者が心身の安全と安定を保持することが最も重要です。心に傷を持つ人たちへの支援は支援者に強い疲労感や無力感を引き起こします。自己責任で十分な休息とるようにしてください。

「遠野市福祉協議会のある職員のお話し」

○こうしたボランティア活動は、その実践に際して被災地に暮らす人たちに寄り添う視点が大切となります。特に、この道の専門家や研究者には現場重視のスタンスをもっと強めていただきたいものです。机上のみの計画では、実践に結びつかないことが多いのです。

○また遠方の方たちには、資金や生活資材の支援なども含めて、「今自分ができること」について智恵を絞って実践方法を考えていただければ、とても助かります。