Hiroshima #9 (広島平和資料館が保存する衣服、寄贈者は小川リツ)石内 都 作品(2007年)クロモジェニックプリント

Hiroshima #9 (広島平和資料館が保存する衣服、寄贈者は小川リツ)石内 都 作品(2007年)クロモジェニックプリント

日本の写真家、石内都(1947年生、本名・藤倉陽子)の米国初の個展が開催されます。同時に英語版総合カタログも発行されます。多作な写真家の多彩な経歴を紹介し、石内作品の背景や足跡、日本の写真界における位置づけを知る絶好の機会です。 www.getty.edu

展覧会関連プログラムとして、2015年10月7日にゲティ・センターにて開催される、石内都とChristopher Phillips(ニューヨークのInternational Center of Photographyキュレーター)の対談などがあります。 http://www.culturalnews.com/?p=19038

同時に、写真センターで展示されるのは「若い世代:現代日本の写真」です。石内の影響を受け、関連するテーマを追う5人の現代女流写真家の作品を展示しています。

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ゲティ・センターのJ・ポール・ゲティ美術館にて、2015年10月 6日~2016年2月21日、「石内都:Postwar Shadows」 が開催されます。石内の写真家としての地位を確立させた、ランドマークシリーズ「横須賀ストーリー」(1976~77)から、広島の原爆をくぐりぬけた衣類や物品を撮る最新プロジェクト、「ひろしま/hiroshima」(2007~現在)まで、写真家としての足跡をたどる写真120点以上が展示されます。

「8年ほど前から、ゲティ美術館では東アジアの写真のコレクション拡張に努めてきました。以来、日本の写真家の作品はコレクションの重要な部分となっています。」と、J・ポール・ゲティ美術館ディレクター、Timothy Potts は話します。「その一環として、当美術館は石内の写真37点を入手しました。多くが写真家本人からの寄贈によるもので、日本国外では最大の石内作品コレクションとなっています。」

また、Pottsは次のように述べています。「なかでも広島原爆投下70年という痛ましい年に、アメリカの施設として初めて展示するのが、石内の「ひろしま/hiroshima」です。被爆した遺品を撮影した、繊細で心を打つ作品群です。」

第二次世界大戦後に桐生市で生まれた石内都は、横須賀で育ちました。横須賀は、1945年に米国が重要な海軍基地を設置した日本の都市です。1960年代後半に東京の多摩美術大学でテキスタイルを学んだ石内は、大学を中退し、写真の道を目指すことになりました。大学を中退した年の終わりに、母親の旧姓を使って、石内都として最初の写真展を開催し、以後ずっと、この名前を使うようになります。

石内が繰り返し取り組んでいるのは、世相と人との関わりです。長くにわたって石内が取り組んできた日本の戦後というテーマ、特に第二次大戦後の米国統治の影響や米国化が、今回の展示の企画の原点となっています。その経歴の中で、互いに関わりながら、それぞれ特徴のある3つの時期を通じて、石内は戦後体験を深く掘り下げてきました。

Getty Postwar Shadow Poster Smaller

初期:「横須賀ストーリー」から「Yokosuka Again」まで

写真を表現手段として選んですぐに、石内は自分が家族とともに1953 年から1966 年まで暮らした横須賀の写真を撮り始めました。そこに蔓延したアメリカ文化は子供だった石内に大きな影響を与えました。石内はポップミュージックやデニムジーンズを愛するようになりましたが、米海軍基地への恐れを抱かせ、この街への憎しみも育てたのです。

カメラを武器に、つらい記憶を糧にして、1970 年代に石内は横須賀に戻って自分自身の恐れと対峙しました。過去の亡霊や見知らぬ場所を撮影することはカタルシスとなりました。石内は自分の父親が石内のために貯めていた結婚資金から、写真制作費を捻出し、日本の流行歌からタイトルを取った写真集「横須賀ストーリー」を出版しました。

「「横須賀ストーリー」をはじめ、初期に制作したその他のシリーズによって、石内は自分の感情と暗い記憶を写真として形あるものにしようとしてきました。」と、ゲティ美術館の写真担当アシスタントキュレーターであり、本展覧会のキュレーターを務めるAmanda Maddox は述べています。「フィルムの現像を注意深くコントロールして、意識的にあらい粒子と深い黒の色調で写真をプリントすることにより、感情を作品に反映させています。石内は暗室作業が好きなのですが、フィルムや写真の現像の触感的な部分が、テキスタイル制作での学びに通じるものがあるのもその理由です。」

記録とフィクションの境界を曖昧にすることに興味を抱いた石内は、2 つ目の主要シリーズ、「Apartment」でこのアプローチの限界に挑戦しました。横須賀で家族と暮らした狭い一間のアパートによく似た、見捨てられた安普請のアパート。石内はそうしたアパートのボロボロの外観、部屋、建物の中を、東京、京都、横浜、奈良など日本中の様々な都市で撮影しました。他の写真家からの批判にも関わらず、石内はこの写真集「Apartment」で、権威ある木村伊兵衛写真賞を受賞しました。

「連夜の街」は、「Apartment」の作品から発展したシリーズで、日本全国の遊廓赤線跡地を撮影したもので す。1958 年、日本政府は売春禁止法を施行し、多くの赤線地帯が閉鎖されました。娼家は放棄されるか、旅館やホテル、個人住宅へと姿を変えました。

かつて横須賀の赤線地帯を通って通学した記憶をたどりながら、石内はこの問題や、まだそこに残る感触、かつてここに住んでいた女性たちとのつながりを感じ取りました。

1980年、石内は「横須賀ストーリー」に描かれなかった場所に戻り、自分自身が恐れていた場所に焦点をしぼりました。新しいプロジェクトで石内が取り上げたのは本町。米海軍基地とEM(Enlisted Men’s)クラブが あり、アメリカの存在が色濃く感じられる市内中心部です。6カ月間、石内はドブ板通りの廃業したキャバレーを借りました。友人の助けを得て、キャバレーを展示スペースに変え、新しい作品を「横須賀ストーリー」の作品とともに展示しました。荒れ果てたEMクラブがついに取り壊された1990年まで、石内は横須賀を断続的に撮り続けました。最後の横須賀プロジェクトである「Yokosuka Again, 1980–1990」は、石内のこの街に対する複雑な感情を精算するものとなりました。

中期:身体 横須賀への徹底したこだわりの後、石内は写真をやめることを考えました。

しかし、1987年に40歳の誕生日を迎えて、石内は時代の足跡と自分の身体に残る体験の痕跡が新しい作品への意欲となることに気づき、写真家としての次の時期を迎えました。自分の生年からタイトルをつけた、「1·9·4·7」では、同年に生まれた友人に被写体となってもらい、特に手や足を撮影しました。プロジェクトが話題になるにしたがい、石内はシリーズの被写体を見知らぬ女性にまで広げました。あまり人に見せない場所をクローズアップし、たこ、ささくれ、しわ、その他、長年の生活が刻み込まれた完璧さを欠いた肌に焦点を当てました。

「1·9·4·7」に触発され、石内は身体をテーマにしたプロジェクトの数々を制作しました。なかでも強烈なインパクトがあるのが「キズアト」で、1991年に制作が開始され、現在も進行中です。過去のトラウマや痛みの痕跡として、肌の表面に残された傷跡は記憶を呼び覚まします。石内はこうした傷跡を戦傷や勝利のシンボルとみなしています。また、跡を写真にもなぞらえています。目に見える歴史の印であり、個人的な記憶を呼び覚ますものでもあるからです。大判の写真には、石内はその傷を負った年、そしてその原因(事故、病 気、自殺、戦争など)のみを記しています。

ポラロイドカメラは携帯可能な暗室のようなものだという考えに惹かれた石内は、よくポラロイドを撮影後すぐにモデルに見せていました。シリーズ「Body and Air」は、そうしたポラロイドで身体の部分を撮ったものを、モデルがまとめたものです。「Body and Air」の被写体の一人が石内の母親でした。彼女は写真に撮られるのが苦手でしたが、このプロジェクトのインタラクティブな遊び心が気に入りました。彼女が被写体となることに同意したことは、石内の次の主要なシリーズを生む基盤となります。

最近のプロジェクト:生と死

2000年に母親が亡くなる直前に、石内は母親の肌と顔を撮り始めました。この時期の写真の一部は、シリーズ「キズアト」や「Body and Air」でも見ることができますが、石内は最終的にテーマを母親に特化したプロジェクトを制作しました。遺品をただ捨てるのではなく、そこから母親の人となりを撮影するという決意を持って、石内はシリーズ「Mother’s」を制作しました。

このシリーズは、母親の遺品である靴、ガードル、使いかけの口紅などの写真とともに死の直前の1999年に撮影された母親の身体の写真から構成されています。

撮影された物品によるトラウマの共有は、石内の最新シリーズ「ひろしま/hiroshima」に、最も痛切に感じられます。石内は、撮影の依頼を受けた2007年に初めて広島を訪れました。主な被写体として選んだのは、アメリカが投下した原爆によって被爆した人たちの遺品でした。

現在は広島平和記念資料館に所蔵されているものです。東松照明、土田ヒロミなどによって、同じ遺品のいくつかが既に撮影されているのを知りながら、石内は同じ被写体を異なる女性ならではの視点で記録することを望んだのです。(シリーズのタイトルである「ひろしま/hiroshima」は、平安時代から女性の文字として使われていた、ひらがなを意識的に使って、ひろしま、としています。)

「石内都:Postwar Shadows」はJ・ポール・ゲティ美術館写真部門アシスタントキュレーター、Amanda Maddoxによって企画されています。

展示に伴い、Maddox、伊藤比呂美(詩人)、Miryam Sas (カリフォルニア大学バークレー校教授)のエッセーを含む図解入りの詳細な学術カタログが発行されます。

展覧会関連プログラムとして、2015年10月7日にゲティ・センターにて開催される、石内都とChristopher Phillips(ニューヨークのInternational Center of Photographyキュレーター)の対談などがあります。

同時に、写真センターで展示されるのは「若い世代:現代日本の写真」です。石内の影響を受け、関連するテーマを追う5人の現代女流写真家の作品を展示しています。

J・ポール・ゲティ財団は、美術に貢献する国際的な文化・慈善組織で、傘下にJ・ポール・ゲティ美術館、ゲティ・リサーチ・インスティテュート、ゲティ・コンサベーション・インスティテュート、ゲティ基金があります。J・ポール・ゲティ財団とゲティ・プログラムはロサンゼルスのゲティ・センターとパシフィック・パリセーズのゲティ・ヴィラの2ヶ所で幅広い観客を集めています。

ゲティ・センターのご案内

ゲティ・センターは火曜日から金曜日および日曜日の午前10時から午後5時30分、土曜日の午前10時から午後9時に オープンしています。

また、金曜日の特別延長開館時間は午後9時までです。5月30日~8月29日 月曜日と主な祝祭日は休館です(7月4日は開館)。ゲティ・センターへの入場は無料です。駐車料金は1台につき15ドル。土曜日の午後5時過ぎ、

週を通じて夜のイベントには10ドルとなります。駐車場や入場には予約は必要ありません。イベントの座席および15名様以上の団体には予約が必要です。ご予約および詳細は(310)440-7300 までお電話ください(英語詳細はwww.getty.edu でご覧いただけます。)