2015/風刺漫画は、どこまで許されるのか -週刊NY生活発行者のコラム

【週刊NY生活メールマガジン第520号/2015年1月17日号】

「週刊NY生活」発行人兼CEO三浦良一さんから

お世話になります。/ BCCにて失礼いたします。

みなさん、こんにちは。ニューヨーク市警はフランスでテロ事件が発生し、イスラム国が昨年9月に続き「立ち上がって米国、カナダ、フランス、オーストラリアの情報将校、警官、兵士、民間人を殺せ」と再び呼びかけていることから市内の警戒態勢を強化しています。

アッパー・イーストサイドの5番街934番地(74丁目と75丁目の間)にあるフランス総領事館は警戒にあたる警官を増員、市内のフランスやユダヤ系の関連施設も監視を強化しています。ニューヨークではクイーンズで昨年9月、イスラム国の呼びかけに応えイスラム教徒の男性が手斧で警官を襲撃、警官に射殺されています。

テロに立ち向かう言論の自由として今回の、12人の編集者、漫画家が殺害されたフランスの週刊新聞「シャルリー・エブド」は事件後初の特別号を出しました。「表現の自由」の象徴として市民はこぞって買い求め、特別号の発行部数は普段の100倍の300万部を予定していて、それでも足りずに500万部まで刷り増す予定だそうです。

風刺漫画は、権力にモノ言えぬ民衆の心を代弁して、正面切っては言えないけれど、心の中で笑い飛ばすことで、読者の心を掴む社会の鏡みたいなところがありますが、それはユーモアを解せる文化背景があることを前提条件とします。

場合によっては単に、誹謗中傷で読む一部の読者の心を傷つける結果をも招きます。同紙が掲載した、東日本大震災に伴う福島原発事故の余波を受けて手の指が10本ある子供の漫画や、腕が3本あって強くなった相撲力士の漫画などは、被災地の人々が目にしたなら、決して笑うことはできないものでしょう。

権力に対するはけ口としての政治風刺漫画は、搾取される側の目線に立ったメディアの役割の大切な使命ですが、それが、何の目的でどう表現されるのかによっては、見る者に全く違った受け止め方をされます。

特に、宗教に及んだ場合の反応は、必ずしも想定内の結果になるとは限りません。表現の自由としての風刺漫画ではありますが、たとえば仮に、戦後70年を迎える今、天皇陛下を揶揄するように「いじる」ような風刺漫画や、従軍慰安婦に関する朝日新聞と日韓問題をテーマにした風刺漫画というのが世に出た場合、前者は日本人の精神構造の底辺に張り付くタブー、宗教観・禁断の聖域を犯すような罪悪感、後者は、まったく立場異にする国民同士の感情を単に逆なでするだけの後味の悪さを残すだけでしょう。

私は、大学時代に漫画研究会にいたので漫画を描くこと自体は好きですが、風刺漫画は、文章や写真よりも時に強い毒を放つ劇薬の表現手段ですので、おいそれとは手がでません。そこが職業人としての自分の限界かもしれません。それでは、みなさん、よい週末をお迎えください。

◇このメールは送信用アドレスから発信しています。自動返信しても三浦には届きませんので、お手数ですが、三浦宛に返信の場合はmiura@nyseikatsu.com の方へお願いします。