石井志をん「マチュピチュ」

ドンデエスタマチュピチュ(8)

石井志をん

翌朝、ツアーはセイクレッドヴァレー(聖なる谷)へ向かった。バスはクスコ市街を抜けてどんどん高度を下げて行く。街道の両側に時々集落が現れる。

とある小さな町の坂道に制服を着た女学生の一団が列を作っていた。どこか上品でおしとやかそうで、別れ際には「ごきげんよう」とでも言いそうである。さながら白百合学園の女生徒と言ったところか。彼女達の制服は黒でも紺色でもなく茶色である。クスコの街で目にした女性達の極彩色の民族衣装に比べて彩度を抑えた茶色の制服には知性とプライドが織り込まれている気がする。

バスが先ず止まったピサックと言う町の工房ではケチュア族の女性達が地面に敷いた布の上に座り、一人は糸を紡ぎ、一人はその糸で織物をしていた。機織りは私の長年の憧れで何時か機織り機の前に座って布を織ってみたいと思っていたがその大掛かりな機織り機を手に入れる術も無い。機織りはトントンパタパタとリズミカルな音と共に布は織られて行く筈だがケチュア族の女達の機織りは物音一つ立てない。先ずシンプルな織機は衣文かけに似ている。それを柱に括り付け宙吊りにしてそれに先ず縦糸をかけた物に横糸を織り込んで行く。こんなに単純な構造の織機なら私にでも作れそうな気がする。

織姫の傍らの女が円い生成り色の大きな羊毛のような塊から引っ張り出した小さな塊がだんだん長く細くなり途切れる事も無くスルスルと伸びてやがて糸状になり、それをグルグルと巻いて毛糸の球が出来上がる。紡ぐ糸の材料はアルパカ又はリャマの毛を刈った物である。その中でもベイビーリャマの毛で紡いだ糸で織る布は特に高価であると言う。触らせてもらったが、柔らかでまるでシルクのような手触りであった。

ケチュア族の女達の身長は150センチ程と小柄で、多くの場合三つ編みにした漆黒の髪を一束腰の辺りまで伸ばしている、髪は女の命であり、女性美の象徴であるようだ。その民族衣装は無彩色のひざ丈のフレアスカートに対して上着や帽子は極彩色のショッキングピンクが多い。彼女達が時にはフェルトの茶色の帽子を被っているのは日焼けを防ぐと言うよりはオシャレを決め込んだ 、つまり、ファッション性が高いのだろうと見た。

気が付くと例のインド人の青年が歩み寄って女達の傍らに置かれた小さな壺に小銭を入れる。女達は英語で礼を言う。私は迂闊にもそこにお金を入れる為の壺が用意されている事にすら気付かなかった。

このインドの青年は弱者に優しい、例えば私の様な高齢者に、例えば地べたに座って日がな一日糸を紡ぎ、布を織っているケチュア族の女に。

農場で私達はルーヴィンが配った穂の出た麦を囲いの中に手を伸ばしてアルカやリャマに与えた。

(続く)

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